小川和也さん&ピンク・スバル Part1
インタビュー&構成:徳橋功
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Kazuya Ogawa & Pink Subaru
映画監督
パレスチナに着いた時、すごく懐かしい感じがしました。
海外で活躍する日本人との対談シリーズ『舞台は世界だ!』今回は映画『ピンク・スバル』を制作した若き映像作家、小川和也さんです。
この映画の舞台はイスラエルとパレスチナの国境の街”タイベ”。一人のパレスチナ人が、念願かなって手に入れた新車のスバル・レガシィを、買った翌日に誰かに盗まれたところから、物語は始まります。
一瞬イスラエルとパレスチナと聞いて「戦争や政治の話?」と思われるかもしれませんが、そんな心配は一切無用。まるで落語のような人情喜劇と、登場するキャラクターの愛らしさに、思わず笑みがこぼれる。コメディー映画というカテゴリーですが、笑いを押し付けるのではなく、気がついたら笑っている、そんなハートフルで、見るもの全てを幸せな気分にさせてくれる。それが『ピンク・スバル』です。
私はこの映画を見終わった後「監督さんにお会いしたい」と思いました。イスラエルとパレスチナの国境を舞台にコメディーを作ってしまう、その監督のバックグラウンドにぜひ触れたいと思いました。そんなことをTwitterでつぶやいたら、何と取材のオファーがあったのです!思いがけない展開に腰が引けそうになった私は、イスラエル・パレスチナ両国に留学経験があり、アラブの言語や文化にも詳しい人をもう一人のインタビュアーに据え、インタビューに臨みました。
今回は3部構成です。第1部は『ピンク・スバル』誕生秘話、第2部は小川さんやスタッフが見た中東の素顔、そして第3部は、紛争地域でコメディーを撮る小川さん独自の視点や発想法についてお伝えします。
*インタビュー@表参道 (by 徳橋功 & 並木麻衣)
*『ピンク・スバル』公式サイト: こちら
*英語版はこちらから!
実に数多くのメディアに取り上げられています。映画の雑誌のみならず、ENGINE、ソトコト、CUT、日刊ゲンダイ、サンケイエクスプレス、東京新聞・・・しかも日本テレビの「ズームインサタデー」まで。おしゃれっぽく、またバラエティーっぽく扱われるのは、不本意ではないですか?
「ピンクスバル」は多様性のある映画だと自負しています。”中東”という切り口での取材もあれば、”ライフスタイル”という切り口、中には”ピンク”という切り口で取材してくださったところもありました(笑)どこのメディアの取材も、基本的には歓迎してきました。中東情勢うんぬんよりも、車にフォーカスした取材も結構ありましたね。
スバル車の話* は、恥ずかしながら全然知りませんでした。映画そのものはフィクションですが、スバルが多かったのは事実ですか?
そうです。 *詳しくはこちらをご参照ください。
写真右奥:小川和也監督 写真左奥:田中啓介プロデューサー
撮影:並木麻衣
実際の撮影期間はどれくらいだったんですか?
20日です。
嘘でしょう!?
<小川>現地での滞在期間は4ヶ月です。脚本がまだ100%完成していない時にロケハンしながらストーリーを練り直していったり、現地でオーディションをしました。だけど純粋な撮影期間は20日間です。確かに、フィーチャーフィルム(長編映画)で、しかも日本人のクルーじゃないことを考えれば尚更速いとお感じになるでしょうが・・・
イタリア人の助監督がいて、彼がイタリア語、英語、ヘブライ語、アラビア語を話せたんです。募集したわけじゃなくて、現地のコーディネーターが連れてきたんです。
<田中P> 日本での映画撮影は、朝現場に集合して、撮影して、夜に解散するというパターンが多いけれど、僕らのクルーは現地に泊まり込みで撮影していたから、そういう意味では効率的でした。免許合宿のようなものです(笑)
<小川>あと、役者さんはほとんど英語が話せましたから、意思の疎通はあまり問題ありませんでした。それでも僕らのネイティブ言語ではありませんから、依然こちらの意思が伝わりにくい場面もありました。でもそれは現場に入る前から分かっていたことだから、大変なこととは思いませんでした。それに僕は海外に10年住んでいますから。
でも役者さんはテルアビブにいたから、現場に来るのに苦労したという声もありました。
©REVOLUTION.INC
現場は、テルアビブから少し離れているんですよね。
<小川> だいたい35キロくらい。車で来れる距離ですが、公共交通機関が無いから迎えに行かなければいけなかったんです。
<田中P> 送迎用のドライバーがいましたが、彼ら全員が車泥棒(笑)スタッフにもいましたよ。
本当に?
車泥棒で成した財で建てた家を、撮影で実際に使っています。だから本当にリアルなんですよ。
それじゃ、気が気じゃなかったんじゃないですか?気づいたら車1台消えていた、とか(笑)
彼らは動きがすごく良いし、それに仲間からは絶対に盗みません。なぜなら内輪でそんなことをしたらクビを切られますから、絶対にやっちゃいけない。向こうでは、一度打ち解けたら絶対に仲間を裏切りません。そういうところは、昭和の日本に似ていますね。
僕があの映画を拝見した時に感じたのは、「この映画を作ったのは、現地に長い間住んでいる人だろう」ということでした。それくらい、現地に溶け込んでいませんでしたか?
僕はかつて4年ほどイタリアに住んでいて、そこでいろんなことをしていました。その中で「ピンクスバル」の主役を演じた俳優(アクラム・テラーウィ)に出会いました。彼は現在もイタリアに住んでいますが、出身はこの映画の舞台の街、タイベです。彼の奥さんはオペラ歌手で、映画に登場する”ミス・レガシィ”を演じました。彼女はイタリア人です。
アクラム・テラーウィさん
©REVOLUTION.INC
僕は元々、この映画のプロデューサーの宮川秀之さんという方が経営していたワイン農園で1年間働いていました。当時僕と一緒に働いていたある農夫が、すごく文化的なことが大好きだったんです。彼が「オレの友達でパレスチナ人の役者兼舞台演出家がいるんだ。お前の家のすぐそばに住んでいる。彼がユダヤ系アメリカ人とお芝居をやるらしいから、お前がそれに何か映像面で協力できるかもしれない。だから会わせたい」と言ってくれて、それで紹介されました。
出会ってすぐに馬が合って、3日目くらいに一緒に映像を作り始めました。それから彼と一緒に地元の子供たちに映像制作を教えたり、アクラムと一緒に学校の先生などと映像や演技のワークショップを開いたりなどしていました。アクラムとの出会いのきっかけとなった、舞台と映像のコラボも並行して続けていました。
それから彼とは家族ぐるみの付き合いになって、奥さんのジュリアーナ・メッティーニとも仲良くなりました。
ある日アクラムが「1ヶ月ほどパレスチナに一時帰国するから、一緒に来ないか」と誘ってくれました。それでパレスチナに行ったんです。そこで、この映画のアイデアが生まれました。
実際に、パレスチナでのどんな光景を見て、アイデアが生まれたんですか?
まず現地に着いた時に、すごく懐かしい感じがしたんですよ。僕が来たことによって、彼の家族が集まって来ました。彼らは、例えば紅茶が3杯あったら1杯目は客人に出します。2杯目は友達に、そして最後の3杯目を家族に出すんです。要はお客さんに一番良いものをあげる。それが彼らの文化です。しかも日本人なんて珍しいし、彼らは日本人がすごく好きだから。
彼らは日本人が好きなんですか?
そういう人が多いです。理由は様々で、ロシアを倒したことがあるとか(笑)あとは日本人の真面目さとか、ソニーなどの日本製品、そういったものを通じて日本に親近感を覚えている人が多いですね。
©REVOLUTION.INC
Part2に続きます。こちらをクリック!
小川さん関連リンク
『ピンク・スバル』公式サイト:http://www.pinksubaru.jp/
* 大阪・梅田ガーデンシネマにて2011年6月25日からロードショウ!