為末大さん @ GTIC ④ 陸上競技 vs ベンチャービジネス トークバトル!
取材&構成:徳橋功
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皆が大丈夫だと言ったら大丈夫というのは根拠がない。単に”皆一緒に沈む”という安心感があるだけ。
侍ハードラー・為末大さんによるスーパープレゼンテーションの後は、かなり異色なパネルトークをお送りします。陸上競技で世界を股にかけてきた為末さんと、金融や投資で世界を股にかけてきたスタートアップ・アクセラレータの秋山智紀さん(GTIC代表)が、本音全開でぶつかり合った30分。アスリートとファイナンス、ベンチャービジネスの世界は全く違うように思えますが、いずれも”食うか食われるか”の勝負の世界。グローバルな舞台で戦ってきた2人のトークに、これから世界を獲りに行く起業家やビジネスマンは、じっと耳を傾けていました。
*秋山さんについてはこちらをご覧下さい。
*侍ハードラー・為末大さんの神プレゼンの内容はこちらをどうぞ!→① ② ③
*写真提供:GTIC
「天才」と戦う方法
秋山智紀さん(以下 秋山):
私が為末さんと出会ったのは、私がメンターを務めている「アジア・アントレプレナーシップ・アワード 2013」という、アジアの学生ベンチャーが東京に一堂に会したイベントでした。そこで為末さんが、今日のような講演をされていました。そこで非常に共感を抱いたのは、かなりロジカルに陸上競技を戦ってこられたということでした。私自身も各種スピード・スポーツが好きで、記録やメモを欠かさず取り、スポーツは戦略的に戦うとより速く・強くなれるという信念を持っていますので、大変共鳴しました。長嶋茂雄さんとは全く対極にいる方だと思いました(笑)
為末大さん(以下 為末):
そうですね。でも、陸上界には長嶋さんのような人もいるんです。なぜかと言うと、天才は誰かに説明されたりしなくても、またその説明を理解できなくても、できてしまうんです。「ガーン!」とか「ブーン!」という擬音だけでも通じてしまう。
私は、以前は自分のことを天才だと思い込んでいたのですが、本当の天才に出会った時に「あ、僕は天才じゃないんだ」というのを初めて理解して、じゃあ天才ではない人間でも勝っているというのは、どういう状況なのだろうと思ったんです。
そして導いた答えが「天才と真っ向勝負しない」「天才が天才であることが上手く活かされないステージを選ぶ」ということでした。だから100メートルはまず辞める。さらにハードルだと、いくら天才と言われるような人でも、ハードル1台1台がスピードを殺してくれます。だから素質というよりは、ハードルへの対処の仕方が勝敗に影響します。それらがハードルを選んだ大きな理由です。
秋山:
自分の置かれているポジショニングを客観的に分析して、競争優位に立つにはどうすれば良いか、という戦略立案ですね。
また為末さんは、聞き手にとって非常にわかりやすい説明やプレゼンをされますが、それはコーチを雇わず、全てをご自身で計画・実行・評価・改善をするというようなサイクルを繰り返してきたからでしょうか?
為末:
僕はコーチが付いていなかったので、自分で自分をコーチングしていました。良い点は、他者とのコミュニケーションが密になること、悪い点は、最後の最後まで根拠の無いことを信じられなかったことです。「ダメなものはダメ」という割り切りが頭の中にあって、でも選手の中にはそういう気持ちをすっ飛ばして結果を出す人もいますが、自分にはそれが最後まで出来ませんでした。
でも良かったのは、自分の姿を客観的に観察することができたことです。何故ならそれができないことには、自分で自分をコーチングすることができないからです。それが癖になり、映像で見ることや、自分が声を発した瞬間の声色や自分が取った行動から自分のコンディションを推測することもありました。そういう癖が身に付いたのは、コーチがいなかったことが影響していると思います。元々そういう性格だったのかもしれませんが。
秋山:
今のお話で出てきた、いわゆる”規格外”の人が、世の中には存在しますよね。為末さんの話を最初に聞いた時「ジャマイカの短距離選手のウサイン・ボルトのような規格外の選手の走り方を真似しても、早く走れるようになれるわけではない。それよりも上位50傑の選手の走り方を分析した方が、よっぽど自分の走りにとって参考になる」とおっしゃっていましたが、それにはすごく共感しました。確かにウサイン・ボルトは有名人で、世界的なアイコンとなり、目立ってますが、そういう目立つ人をベンチマークにするより、目立たなくとも、本当に自分にとって役に立つものは何か、という本質論を考えている人だな、と。
我々ベンチャーの世界でも「FacebookやGoogleはすごい!あれらを真似しよう、シリコンバレーに行こう!行けば何とかなるんじゃないか」などと戦略なく言う人がいますが、実際は何ともならないケースが多い(笑)確かに憧れや思い込みは重要です。ただし「自分の能力やポジショニングも冷静に分析して、戦略を練りなさい」と私はよくアドヴァイスを言っています。その辺りの体験を話していただけますか?
為末:
我々の世界ではいくつか研究手法があって、まずはある一つの事例を紐解くという研究、もうひとつはなるべく多くの事例を集めて統計処理をして分析するというものです。前者の手法は、やはり今熱いのは「ウサイン・ボルトはなぜ速いのか」という研究です。そしていくつか要因と見られるものが見つかるのですが、一言で言えば”娯楽”としては良いのですが「私たちがそれを知って、果たしてどうなるのか」と思うことがほとんどです。何故なら”普通の人が模倣できないから天才”なのであり、そういうふうに生まれてきたから天才なんです。
才能というのは”持って生まれたもの”と”生まれた後に習得できるもの”の2つがあるのですが、天才には後者の要素はほとんど含まれないんですね。または極めて特殊な環境の中で才能を育んできたような事例ですね。例えば1歳の頃から世界チャンピオンのお父さんに教えてもらったので、これが僕が優勝した秘訣でした・・・などと言われても、じゃあ僕らはどうやってそういう環境にもう一度生まれ直せば良いのか、という話になります。でも天才の分析はそういうところに行きがちです。
反対に100メートル9秒台を出したこれまでの選手が、なぜ9秒台を出すことが出来たのかを分析すると、足の接地時間が100分の○秒だったとか、足の回転数がいくつだったとか、筋肉にこういう特徴があったなどの要因を見つけられます。それらは比較的真似をしやすいです。長嶋さんはそんなデータを見なくても良いんですね。それに「自分は天才なのか、そうではないのか」と考えている時点で天才ではないのでしょうから、自分が天才ではないと捉え、秀才のレベルでも勝っているというのはどういうことなのだろう、と考える。そのためにはウサイン・ボルトとか、ベンチャーの世界で言えばスティーブ・ジョブズとか、そういう人のことはなるべく意識から排除して、かなりの高確率で成功しているそれ以外の事例を集める方が、スポーツの世界では大事です。
ただ、そうは言っても「自分は天才ではない」と割り切るのは、すなわち「自分はチャンピオンにはなれない」とあきらめることに近いかもしれないので、それに対する抵抗感は強いと思います。でも僕は、それがすごく大事だと思っています。
秋山:
まさにベンチャーやビジネスも同じ世界ですね。努力している天才に勝つのは難しいかもしれませんが、私は相手が「努力しない天才」であれば、「戦略的に努力をする秀才」はかなりの勝率で勝てる、と思っています。またスポーツの世界のように、ピークの年齢がかなり若いシビアな世界に比べると、ビジネスの世界は、実年齢の壁というのはあまり感じないので、かなり努力のしがいがあります。
ところで、先ほどウサイン・ボルトの話が出ましたが、為末さんの本にはこう書かれています。
「結果が出てから言え、と言う人は、金メダルを取る前のボルトの言葉は信じず、出た後のボルトの言葉を信じる。”結果”が出る前の人から学べるかどうか。そして誰が”まだ普通”なのかを見抜けるかどうか。結果が出た人から学んでは遅い」
そして、
「結果で判断する人は、過去の経歴で相手を判断する。そして何を言ったかより誰が言ったかを重視する。だから相手と自分を比べ、自分が優位だと思えば自分の意見は正しいと思い、優位ではないと思えば何も言わなくなる。肩書きや世間の評判で態度を変えてしまう」
・・・非常に共感を覚えるのですが、これらはどういう経験から出てきた言葉ですか?
為末:
講演でお伝えした、私たちの時代のスーパースターである伊東浩司さんの練習方法を、かつて取り入れたというのがまさにそれで、要は「凄くなった人には、何か凄くなった秘訣があるだろう」と思ってしまうんですね。それで「伊東選手が速くなったのはこれが秘訣なんだ」とか、伊東選手が「こうすれば速くなる」と言えば「あ、そうなんだ!」と思う。でも、実はそれらが本当の要因で無い場合もあります。または伊東選手が口にした秘訣は、誰でもアクセスできてしまう。だからそこに優位性は無いわけです。
でも「これをやれば速くなるんじゃないか?」という一歩前の段階から考えられると、まだ世に出ていない情報ですから、優位性は高くなります。だから「この選手は将来速くなるんじゃないか」というのを見ておけると、頭の中で何が本当の成功の要因なのかが見えるようになってくる。それが、私の発言の趣旨です。やはり私も「経歴がすごい人は実際にすごいはずだ」と思い込み、それにとらわれた経験がありますから。
流されたら負け
秋山:
これらと同じ文脈で、
「一度も年下に教えを乞うた事が無い人、売れてる本しか読んだ事がない人、みんなが大丈夫と言ったものにしか手を出さない人、みんながだめだと言ったものをだめだと思ってきた人。こういう人は実力以前に情報戦で負けている可能性がある」
と言い切られていますね。私も非常に賛同しています。
為末:
例えば「アベノミクスはいいぞ!」と言われている時に、自分も「アベノミクスはすごい!」と思ってしまうことの危なさですね。皆がそう言っているということは、もう終わっているということでもあると思います。情報が広く行き渡って皆が知っているということですから。
秋山:
まさに株・債券・為替などの金融商品に対する投資活動や、新しいアイディアのスタートアップビジネスを始めるのと同じですね。メディアが言い始めて、みんなが売買を始めたり、そのアイディアをみんなが話し始めた時にはすでに遅い。
為末:
今でこそ、ハードル競技は日本人にとって有利だという研究結果が出ています。また、メダルを獲れる確率は競技への参加人数から割り出せるんですよね。メダルを獲得するまでのコストも、100メートル走はめちゃくちゃ高いわけです。反対にハードルは結構コストが安い。でも世の中は100メートルでメダルを獲ってもハードルでメダルを獲っても同じ”メダル”として扱ってくれますから、比較的”お得”なのがハードルでのメダルだと思います。
このようなことが世間に広まった今、ハードル選手が途端に増えだしたのです。そうなると、ハードルでのメダルもお得では無くなってくる。なぜなら参入する人が多いからです。
つまり、以上の情報にいち早く気づいて参入できるかどうかが大事なのではないかと思います。世の中に広く認識が行き渡った時点で、その”美味しさ”はかなり薄まっていると言えるし、皆が大丈夫だと言ったら大丈夫というのは、何らその根拠にはなっておらず、単に”皆一緒に沈む”という安心感があるだけです(笑)
秋山:
私自身、これまで人と違うことを選択する”逆張り人生”でした。電気・電子工学を専攻して大学院まで出たにもかかわらず、金融の世界に飛び込み、もともとは英語もできないのにアメリカのビジネススクールを目指したり(*このエピソードについてはこちらに詳しく載っています)アメリカと違って日本では少数派の”投資銀行マンからベンチャー・キャピタリストへの転身”と、常に最初は他人や大多数の人が選ばない道に飛び込んできました。
為末さんの言う通り、人が選ばない道を選ぶのも一つの戦略ですよね。例えばベンチャーの世界で言えば「資本はありません、人材もそれほどいません。勝てるのはスピードとアイデアしかない」というケースが多いです。そういう状況では、誰かが既に手がけていることの二番煎じは競争力が低いと思います。
また、日本の若手スタートアップの多くがシリコンバレーに行きたがります。それはそれで良いことだと思いますが、なぜ、猫も杓子もシリコンバレーを選ぼうとするのだろうと思います。「あなたは皆と同じことをするのが嫌だから会社勤めを辞めて、ベンチャーを始めたんだろう?なのにベンチャーの世界でなぜ皆と同じシリコンバレー行きばかり考えるんだ?その他の国々やマーケットの選択肢は考えないのか?」ということです。
シリコンバレーを選ぶ事自体は非常に良いのですが、よくよく話を聞いてみると、他のマーケットの選択肢を全く考えたこともない人がけっこう多い。ですので、会場にいらっしゃる方、特にベンチャーの経営されている方は、この為末さんの「人がやっていない分野に、人より早く参入する」という言葉を思い出されるのも良いのではないかと思いますね。
チャンスに後ろ髪はない
秋山:
ところで話は変わりますが、海外のエージェントから数日後のヨーロッパの賞金レースに出ないか、といきなり英語で電話がかかってきたというエピソードがありましたね。よく”チャンスの神様に後ろ髪はない”と言われ、ベンチャーの世界でも大事な瞬間は準備よりも、タイミングが重要な時があり、躊躇せずにパッと飛び込まないといけないことがあります。 そしてこれもよく言われますが、石橋を叩いて、叩いて、割れないからなおも叩いて、割ってしまって「ほら、割れたでしょ?こんな橋、渡らなくて良かったでしょ?」ということをされる方が結構多いんですね。
そのエージェントの言葉にパッと反応した為末さんには、後ろ髪がないチャンスの神様が通り過ぎる前に神様の前髪を掴んだのかなと思います。
為末:
当時は「エイヤ!」という気持ちしか無かったですね。「これしかない!」とその瞬間は思ったんですけれど、何でそう思ったのかは分からなくて、その人が誰かも分からずによく飛びついたと思います(笑)
でもレースまで3日間しかなかったので、翌日には飛行機に乗らないと、レースの前日に現地に着けないわけです。僕は当時の契約先のナイキと相談して、何とか飛行機のチケットを取って、翌日に成田に行ってそのまま現地に行きました。当時在籍していた大学で会合があったんですけど、そのことを確認せずに行ってしまい、僕が海外を転戦していた2週間、大学側は僕をずっと探していたそうです(笑)
秋山:
そのエージェントをよく信用できましたね。詐欺かもしれない、とは思いませんでしたか?
為末:
そういう意味では、すごく警戒心が薄かったとは思うのですが(笑)「行くしかない!」と思ったのがひとつ、あとはそういう気分だったんでしょうね。「もう行ってしまえ!」みたいに。「仮にダメだったとしても、死にはしないだろう」と思っていたので、それが大きかったかなと思います。
納得のいく”終わり方”
秋山:
先ほどのプレゼンでは出てきませんでしたが、2009年頃にアメリカに拠点を移しましたよね。ご著書の「走る哲学」を読むと、拠点を移した後に葛藤が出てきたと。向こうにいると日本のテレビ局からもお声がかからないし、それでまた焦りが出た。そのような渡米後の心境の変化はいかがでしたか?
為末:
先ほどのプレゼンは競技人生の良いところで終わりましたが、その後も5年ほど続いています。その5年の方が私にとっては感慨深いんですけど、簡単に言うと”老いて”いくんですね。スポーツ選手の老いは皆さんよりも相当早く来ます。20代後半からもう老いの感覚があるんですね。飛べていたはずのものが飛べなくなる、今までだったら回復したであろうものが回復しなくなる、痛くなかったはずのものが痛くなる・・・そして僕は「”体が固くなる”ということが老いるということなんだな」ということを、すごく思いました。そういう感じで、自分の実力が落ちていくんですね。
実力が一旦落ちると、スポーツの世界ではそのまま落ちていくので、競技場に入った瞬間に自分のパワーや”権力”が失われているのを、ひしひしと感じるんですね。つまり、他の選手がこちらを見なくなるのです(笑)「あの人が来た!」みたいなことがだんだん無くなっていって、自分の存在自体が小さくなっていくんですね。僕は、自分自身の存在感が”老い”に関係するものだとは思ってもいませんでしたが、人間は周りに認識されなくなると、すごく自信がなくなってくるわけです。実力が無くなってくるのが最初なんですけど、それにより周囲からの認識が無くなり、結果的に自分の自信も揺らぐ。その中でどうやって結果を出すか – 僕の場合はもう一回爆発させるしか無かったのですが、ではどうやって爆発させるかというのを、ずっと葛藤しながら考えていたのが、アメリカでの日々です。
競技の面から言えば暗いことばっかりだったんですが、私にとっては最後に自分と向き合う時間ができたので、良い時間を過ごせたと思います。
秋山:
ベンチャーの世界でも、うまく行く時はバーッとうまく行くんです。でも”何をやってもうまくいかない”という時があります。一時的なスランプなのか、それ以上続けても成果が出ないし、かえって損害が大きくなってしまう可能性もある。非常に決断が難しいのですが、もし後者だと判断する場合は、それまで費やしてきた時間と労力をもう回収できない「コスト」とあきらめ、そこでプロジェクトを止めてしまう。このコストのことをビジネスの世界では”サンクコスト”(Sunk cost: 事業の撤退・縮小を行う決断をする時に、それまでに投下した資金はもったいないと感じつつも費用と計上すること)と言いますが、為末さんはこのサンク・コストのことをツイッターで書かれていましたね。
為末さんが100メートルがうまく行かなくてハードルに転向した時、どうやって、それまでの100メートル走への努力と投入時間をサンクコストと考え、どのように100メートル競技に踏ん切りをつけ、まだ、通用するかどうかわからない新しいハードル競技に飛び込んだのでしょうか?
為末:
スポーツ選手が引退する時はいろんなことを聞かれますが、一言で言うと「いかに損切りをしたか」なんですね。今まで自分に投資してきたものを考え、このまま進むと損が出るかもしれないけど、もしかしたらもう一発あるかもしれない。でもその”もう一発”の確率は、若いときよりも明らかに減ってきているというのが分かっているんだけども、その一発にこれだけの時間をかけるのか、それとも確率が低くなったから辞めるのか、ということですね。
続ける限りは、その確率は厳密にはゼロにはなりませんが、以前ならメダル獲得の確率が20%くらいだったのが、最後は1〜2%になる。そうなると、同じ時間をかけるにしてもリターンは小さくなり、それをどう感じるかという価値観の世界になってきます。私はそれまでは割と合理的に考えていたのですが、結果を出すためにやってきて、30歳の頃に北京五輪を終えた時「この先、このまま行っても厳しいだろう」というのは思っていました。
でも何となく、自分で納得がいかないものがあり「ちゃんとやり切らないといけないんじゃないか」とすごく感じて、確率は低いかもしれないけど次のロンドン五輪に賭けてみようと思いました。一言で言えば「気が済むまでやりたい」と思ったのです。 それが”執着”だということも何となく分かっていました。でもそれまで21年も陸上に賭けてきたので、いかなる形でも踏ん切りをつけるところまで行った方が、次の人生に進みやすくなるだろう・・・それが私の”引退”へのイメージでした。
ただサッカーの中田英寿さんは逆で、彼はスパッと損切りができるタイプでした。中田さんとお話させていただいた時に、彼は「この先は無いと思った瞬間に引退した」とおっしゃっていました。選手によっても引退の捉え方が違うんだな、と思いましたね。
秋山:
そして最後に、ロンドン五輪までのお話をお聞きしても良いですか?
為末:
私はロンドン五輪を狙ってアメリカに行っていたのですが、ちょうど今から1年前(2012年6月8日)の日本選手権で、1台目のハードルで転倒してしまいました。スタートしてから50メートルくらいしか走っていないわけですね。だから「これが自分にとって最後のレースだ」ということは分かりました。転倒した後からゴールまでは、最初に出場したシドニーオリンピックで転倒した時と違って思い切り走りきろうと思いました。
振り返ってみると「オリンピックに出たい」とか「もう1回メダルが欲しい」とか、いろいろ考えながらやってきたのですが、それよりも大きかったのは「納得したい」という思いだったんですね。「気が済みたい」というか「成仏したい」というか(笑)21年も続けると、そこに何らかの意味を持たせて「この日でおしまいだよ」というのを決めたいわけですね。人間は本来、時間に対してキチッと区切る修正が無いから、七回忌などの法事を設けるのではないか。そういうものを設けないと、けじめなく生きてしまう。
だから私は「この日が私の陸上選手としての最後の日だ」というのを決める必要があり、自分の体も使い切ったし「しょうがなかったんだ」と思って「次に行こう」と思える。そういう”印”が必要だったんですね。それが私にとってはあの日本選手権だったし、だからこそ転倒した後に全力で走って、スッキリして最後のレースを終えることが出来たのです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
この後の質疑応答の中で、My Eyes Tokyo主宰の徳橋も質問させていただきました。
徳橋:
なぜ、アメリカに行かれたのでしょうか?
為末:
あまり深い意味は無かったのですが、本当は北京五輪を節目に30歳で引退して、その後はどこか海外の大学で学んでみたいと思いました。でも北京五輪後に「まだ現役を続けたい」と思ったので、スポーツをしながら海外で生活しようと思いました。本当はイギリスを考えていたのですが、気候が寒過ぎると思いました(笑)一方でアメリカのオレゴン州にナイキの本社があるので、そこも考えたのですが、そこも寒い。それでサンディエゴに来たら暖かかったので、サンディエゴに住み始めました。
そしてもうひとつの理由として、日本で人間関係がたくさん出来ていたんですね。でも北京からロンドンにかけての4年間は本気でやらないと、若くて元気な選手に勝てないと思いました。そのためには人間関係を物理的に絶たないといけないと思いました。もし私が日本にいないとなれば、人は私にコンタクトが取れなくなると思い、そのために日本からいなくなろう、と思ったのも理由です。
そしてさらに懇親会の席でも、図々しく聞いてしまいました!
徳橋:
世界の舞台を経験されたことと、アメリカに4年間いらしたことでは、違うことを感じられましたか?
為末:
世界大会で戦うのは、ある意味「そのままの自分」で行けるんですよね。それはそれで良いと思いますが、オリンピックに出場した選手で実際に海外経験をしていない人はたくさんいます。それは金メダルを獲った人も含めてです。だから世界的な結果を出すことと、日本以外での生活経験があるかどうかというのはあまり関係がありません。でも僕は日本以外での生活経験が無かったので、それを体験してみたいと思いました。
徳橋:
為末さんが秋山さんと共通するのは、様々な分野の人たちと交流を持とうとされるところだと思います。陸上界の人とだけではない、スポーツ界の人とだけではない、という・・・それは、そのままアメリカという国にも当てはまると思います。アメリカには多様なバックグラウンドを持つ人たちがいますが、それを感じられたということはありますか?
為末:
そうですね。少なくとも日本の常識が世界で普遍的に通用しているわけではないんだということは分かりました。もっと言えば陸上界の常識は他の分野での常識ではないわけですが、そのようなことを感じることができたので、僕にとってはアメリカは好きな場所ですね。
そこへ秋山さんも質問!
秋山:
アメリカでは子どもの教育の時は、順位を気にせずに褒めるが、オリンピックなどになった途端に結果至上主義になりますよね。これについてはどう思いますか?
為末:
一つ私が思うのは、日本では評価軸が少なくて、勉強でも敗れて運動でも敗れると、その人の価値は低いと判断されてしまうと思います。でもいろんな評価軸があると、一つの敗北がそれほど重たくなくなりますよね。足が遅くてその勝負では結果は見えてしまったけど、それはバドミントンで負けたくらいの話しで、じゃあバレーはどうか、サッカーはどうか、評価軸がたくさんあってそれらに挑戦すると”敗北=自己否定”とはならないと思います。
日本は比較的価値観が共通な社会なので、良い大学に行けなかったということと、人生の敗北感がセットになりがちです。だからいろんな評価軸を社会が取り入れると良いと思うのですが・・・
秋山:
具体的にどうすれば良いと考えてますか?
為末:
スポーツでスターになるのは、かなり確率が低い賭けなので、それに皆が挑むのは効率的ではないと思うのですが、スポーツの良いところは”早めに挫折が来る”ことと”努力だけではどうにもならないことがある”と分かることです。早めに天才に会えるので、早いうちに現実を知ることができるのです。その結果として、スポーツに取り組んだ経験が人生に生きた、ということがあれば良いと思いますね。
この後、沢山の方々から質問攻めに合うも、それらに対してひとつひとつ、誠実に、正面から答えられていました。ゲストスピーカーの為末さん、そしてGTIC主催者の秋山さん、貴重なお話を間近でお聞きする機会を下さり、本当にありがとうございました!
為末さん関連リンク
R.project: http://rprojectjapan.com/
アスリートソサエティ:http://www.athletesociety.org/
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