長門ティヤナさん(セルビア)
インタビュー:徳橋功 & ホフ・ジェニファー・アンドレア
構成:徳橋功
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Tijana Nagato
大使館秘書/料理講師
私は皆さんに“新しいセルビアの姿”を見せたい。美しい自然と、優しい人々にあふれたセルビアの姿を。
ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国セルビア。ハンガリーやルーマニア、ブルガリアなどに囲まれたこの国は、実は日本と深く結びついてきました。その歴史は明治時代に始まり、最近では2011年に東日本大震災が発生した際、セルビアは日本円で約4500万円もの義捐金を日本に送りました。
そのセルビアと私たちMy Eyes Tokyo(MET)は、日本と同じくとても深くつながっています。2014年9月、METは国際交流団体“The International Center in Tokyo(ICT)”とセルビア大使館でイベントを開催(※そのもようはこちらをご覧ください)。その年の5月に大規模な洪水に見舞われたセルビアに、大変ささやかながら支援をさせていただくことはもちろん、日本とセルビアとの相互理解を深める場を作るべくこのイベントを企画しました。その開催前、セルビア大使館・ICT・METの3者で行われた打ち合わせの場で初めてご挨拶したのが、今回ご紹介する長門ティヤナさんです。
ティヤナさんは来日以来約20年にわたり、一貫してセルビア大使秘書を務めています。しかし私たちがすっかりご無沙汰していた間、ティヤナさんは活動の場を大きく広げていました。日本各地での講演に始まり、時には日本の雑誌やテレビ番組などメディアに出演することも。もちろんそれは、ご自身が目立ちたいからではなく、少しでもセルビアの魅力を、影響力の強いメディアを通じて多くの日本人に伝えるために行っていること。さらにティヤナさんは、仕事や子育ての合間のわずかな時間をも割いて、料理などセルビアの文化を草の根で伝える活動も行ってきました。
愛する母国を、愛する日本の人たちに少しでも知ってもらいたい – 穏やかな佇まいに秘めたティヤナさんの情熱の源を、皆さんと一緒に探っていきたいと思います。
*インタビュー@高輪(港区)
写真提供:My Serbia
完全なる未知の国
私には3つの顔があります。セルビア大使館大使秘書、外国人料理教室での料理講師、そしてYouTuberです。これらを貫くのは「セルビアの文化を日本に紹介する」というミッション。いずれもセルビアと日本をつなぐ仕事であり、どちらの国にも深い愛着を持つ私にとって、もはや天職と言っても過言ではありません。
日本に来る前、私は生まれ故郷であるセルビア(当時はユーゴスラビア連邦共和国)の首都ベオグラードで日本語を学ぶ大学生でした。セルビアは外国語教育が盛んで、小学校1年生から英語を、小学校4年生からフランス語など第二外国語を学びます。そのような環境の下、医者だった母に育てられながらも翻訳や通訳の仕事に憧れた私は母国語以外の言語に興味を持ち、高校から大学に進む際、イタリア語を学ぼうと考えました。しかしセルビアでイタリア語を話せる人は多かったため、話者人口が少ない、エキゾチックな魅力あふれる言語を学びたいと思いました。
私が進学を志したベオグラード大学に、遠いアジアの言語として唯一日本語学科があることを発見。それまで日本についての知識はそれほどありませんでしたが、日本語には私が慣れ親しんできたヨーロッパの文字とは全く違う漢字があり、一つの文字にたくさんの意味が込められていることに魅力を感じました。大学入学前にベオグラードの映画館で黒澤明監督の映画『用心棒』を見、着物などセルビアとは全く異なる日本の伝統文化や、三船敏郎演じる侍の恰好良さに惹かれました。
一方私が大学に進学しようとしていた1990年代後半当時、首都ベオグラードにさえも日本企業は無く、日本人に会うこともありませんでした。しかし遠くない将来、経済制裁の緩和に伴い日本企業がセルビアに進出することを期待していたし、日本とセルビアの交流がいつか活発になると信じていた。だから日本と仕事をするチャンスがきっと訪れるだろうと思ったのです。
「分からへん」が分からへん!
こうして進学したベオグラード大学日本語学科。学生数は約50人と、英語やフランス語、ドイツ語に比べて圧倒的に少数でしたが、私はセルビア語と日本語で指導する山崎洋・山崎佳代子両教授の元で、日本語の知識がゼロの状態から学びました。
ただいくら日本語が上達しても、ベオグラードにいる限りネイティブスピーカーと話すチャンスにはなかなか恵まれません。私は大学卒業後もその機会を探りました。そんな折に国際交流基金から奨学金をいただきながら、日本で日本語を学ぶ3か月のプログラムを知り、応募。大学の成績や履歴書、参加目的をアピールする“モティベーションレター”などを提出し、ベオグラードにある民間会社で秘書として働きながら応募結果を待ちました。そして選考を通過し、遂に日本で日本語を学べることになったのです。こうして2001年9月、私は初めて日本の土を踏みました。
日本語クラスが開かれたのは、大阪の関西空港そばにある施設。授業では標準語を習うので問題ありませんが、街に出たら人々が話す「あかん」「分からへん」みたいな言葉が全く分かりませんでしたね(笑)それでもネイティブスピーカーと日本語を話すことへの恥ずかしさが徐々に無くなっていきました。食べ物が美味しく、人々が温かく親切で、高速道路など整ったインフラと豊かな自然、お祭りや着物など伝統文化が混在する日本に惹かれ、この国で働くことを夢見ました。
セルビアではまだ日本語能力試験が行われていなかったため、日本で同試験の2級(N2)を受験し合格(その約2年後、日本語レベルとして最高峰の1級(N1)を受け合格しました)。その成果を携えてセルビアに帰国後「新たに日本に赴任する大使が秘書を探している」との情報を知人から聞きました。当時旅行業界を目指していた私にとって、大使館勤務は全くの想定外でしたが「日本に戻りたい」と切望していた私にとって、それは願ってもない大チャンス。喜び勇んで面接に行き、大変幸運にも採用されました。
それからわずか1か月後にやって来た東京。私の目には大阪以上に洗練され、浅草のような伝統的な下町からお台場みたいな近未来都市まで様々な表情を持つ大都会に映りました。その一方、私がかつて住んでいた関西の人たちの方が外国人に対してフレンドリーで、私たちに興味を持っている気がしました。だから私にとっては関西の人たちの方が話しやすかったのです。それに東京の人たちは、いつも急いでいるような感じ。それらが積み重なり「東京の人たちは冷たい」という印象を抱いてしまいました(笑)
“橋”としての重圧と喜び
私が2002年3月にユーゴスラビア連邦共和国大使館(当時)に赴任して以来、その翌年にセルビア・モンテネグロ、2006年にセルビア共和国と国名が変わりましたが、私の仕事は一貫して大使秘書です。これまで4人の大使に付いてきました。私の仕事は幅広く、大使のスケジュールを管理するだけではなく、様々な文化・経済イベントを企画・開催するなど、セルビアと日本をつなぐ”橋”としての業務全般です。特にセルビアからVIPの方がいらっしゃる時や、数百人もの人々が参加する大使館のイベントの時などは、ミス無く全てが上手くいくように細心の注意を払います。
私が大使館に入ったのは、1990年代の内戦とそれに伴う経済制裁、2000年前後の政府の変革を経て、セルビアが世界に対して門戸を開こうとしていた頃。だから非常に忙しかったことを覚えています。時に大変なプレッシャーを感じる仕事ですが、一方でその頃にセルビアの文化やスポーツが好きな人々や、セルビアとのビジネスに興味を持つ人々に数多く出会えたことが、私にとって何よりの喜びとなったのです。
残念ながら日本では、セルビアに対するネガティブなイメージを完全には拭い切れておらず、今もなおセルビアに行くことを躊躇する人が少なくありません。しかし実際のセルビアは豊かな歴史に育まれた文化、美しい自然、優しい人々にあふれた、観光を楽しみたい人にとって最高の場所です。また日本が経済制裁後に様々な援助をしてくれたことから、多くのセルビア人は日本に感謝の気持ちを抱いています。
日本からセルビアにいらっしゃる方は徐々に増えましたが、これからも私は日本の人々に対し、セルビアの魅力を伝え続けたいと思います。そのための活動の一環として、私は大使館での広報業務以外でも活動しています。キーワードは“料理”です。
美味しいものは文化を超える
私は子どもの頃から母や祖母の料理を手伝い、やがて自分でもお菓子やパイ、その他いろいろな料理を作るようになりました。ただ日本に来てからは、和食の方がサッと作れるということもあり、セルビア料理を作る機会が減りました。しかし娘が生まれてからは、彼女に私の故郷の味を知ってほしくて、できる限りセルビア料理を作るようにしました。娘のお誕生日会にはセルビアのケーキやパンなどを作り、来てくれた彼女のお友達やお母さん方にも振る舞います。残念ながら日本にはセルビア料理のレストランが皆無なので、私の日本人の友達から「セルビアのお料理を作って!」というリクエストを時々いただきます。
そのような私の料理好きを知ったのか、友人のイェレナ・イェレミッチさんから声をかけられました。「ティヤナさん、Niki’s Kitchenで料理を教えてみませんか?」。
My Eyes Tokyoでも取り上げられた、日本在住外国人の自宅でその国の料理を学ぶ料理教室『Niki’s Kitchen』。ここでイェレナさんはセルビア料理を教えていましたが、今から5年ほど前にセルビアに帰ることになりました。そこで私にお声がかかったのです。こうして私は2015年7月、私の自宅でお料理を教えることになりました。
セルビアは地域によって食文化が全く異なるため、私が得意とする料理だけではセルビアの食文化の一部しか紹介できません。そのため私は、これまで1~2回しか食べたことがない料理なども、レシピを探して再現したり、祖母の故郷の料理を母から教わったりしながら研究しました。
Niki’s Kitchenで教えた生徒さんは延べ700人超。つまり、それだけの人たちにセルビアの食文化を伝えたことになります。生徒さんの多くはいろいろな国の料理が好きだったり、セルビア人の友達がいるなど何らかの形でセルビアと接点があったりする人たちですが、他にも“DMM英会話”というオンライン英会話でセルビア人講師と出会い、お互いの食文化について話すうちにセルビア料理に興味を持ったという人もいます。
セルビア料理は日本人の口に合うと思います。塩コショウやパプリカパウダーを使ったシンプルな味付け。オーブンで焼くお肉にたくさんの野菜を添えたお料理は、生徒さんから「おいしい!」という声をよくいただきます。中でもセルビア風サワーロールキャベツ“サルマ”、他にも“ムサカ”が人気です。
Tiki’s Kitchen『俺のレシピで極上ロールキャベツ「サルマ」』
生徒さんから「ティヤナさん、お店を開けば良いのに・・・」とよく言われます(笑)もし私がレストランを持てば、日本で唯一のセルビア料理店になるので大変名誉なこと。仕事を持つ身として今は難しいですが、それは昔から憧れていた夢。いつか実現すれば良いなと思いますね。
全ては愛する母国と日本をつなぐため
Niki’s Kitchenで今も料理を教える一方、昨年(2020年)12月から新たなプロジェクトに参加しています。セルビアの美・食・住を伝えるオンラインメディア『My Serbia』です。元々はセルビア大使館勤務の日本人が一人で開設したサイトでしたが、日本人写真家と私が、彼のセルビア愛に心を打たれ、コンテンツ制作に参加するようになりました。現在ではセルビアを愛する日本人や日本在住のセルビア人からもご寄稿や写真のご提供をいただいています。
私たちはウェブサイト以外に紙媒体と動画も作っており、その動画が、私が講師としてセルビア料理の作り方を教える『Tiki’s Kitchen』です。Tikiは私の幼少からのニックネームで、基本的に動画には私のみ出演しますが、時々ゲストを迎えて一緒にお料理をしています。
コツコツ地道に続けてきた私たちの活動が、今年(2021年)春に大きな動きとなって実を結びました。かつてお笑い芸人として一大ブームを日本全国に巻き起こした、タレントの藤原しおりさんとのコラボレーションが、婦人公論様の企画『藤原しおりのTOKYOで世界一周』で実現したのです(※その記事のオンライン版はこちら)。
2021年4月27日発売『婦人公論』連載『藤原しおりのTOKYOで世界一周』撮影時にて
これからも『Tiki’s Kitchen』の存在を広めていくために、SNSでの発信やメディアへのアピールを続けていきたい。それがやがて、セルビアの食文化を日本に広め、日本人にセルビアへの親しみを抱いていただくことにつながると思っています。さらに『My Serbia』との相乗効果で“新しいセルビア”、つまりネガティブなイメージが完全に払拭された美しい一面を日本の人たちに知っていただきたい。今の20代の人々のように、ネガティブな歴史を全く知らない層にもアプローチしたいですね。そのようにして、アフターコロナの暁には多くの人たちが日本からセルビアを訪れることに貢献できれば嬉しいです。
『My Serbia』運営スタッフ。右手前より創設者の小柳津千早さん、ティヤナさん、写真家の古賀亜希子さん
Tiki’s kitchen撮影時にて 当日ゲストのミラン・グルイッチさんと一緒に
ティヤナさんにとって、東京って何ですか?
東京は、私の娘が生まれた街。だから私にとって“セカンドホーム”と呼べる場所です。
私が生まれ育ったベオグラードは、もちろん今でもとても懐かしい。でもセルビアを訪れ、東京に帰るたびに、街にあふれる活気、街の明かり、私が住んでいる地域の自然豊かな雰囲気、そばを流れる神田川の美しさに圧倒されます。また東京では新しい出会いに恵まれ、多くの友達ができ、やがてここに住むセルビア人の友人たちが、私の東京での“家族”になったのです。
それに東京はとても広く、気分によって好きなエリアを訪れることができます。日本の伝統を味わいたい時は浅草、ヨーロッパ的な雰囲気を求めるときは自由が丘、若いエネルギーを感じたいときは渋谷、お堀のそばでゆっくりコーヒを飲みたいときは水道橋、お洒落で文化的な街に行きたい時は下北沢、といったような感じです。このような東京の多様性が大好きです。
ヨーロッパ諸国などと比べてwi-fi環境が進んでないとか、未だにFAXが使われているとか、事情や環境が変わってもルールにこだわりすぎて融通が利かないなど、日本にはもっと頑張ってほしい部分があります。でも、そんな日本の中心である東京は、私にとってもはや“ファーストホーム”と呼べる街かもしれませんね(笑)
ティヤナさん関連リンク
セルビア共和国大使館ホームページ:www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/
Tiki’s Kitchen:Click!
My Serbia:myserbia.jp/
ティヤナさんのページon Niki’s Kitchen:Click!