杉山彩香さん & プチプチ®

インタビュー&構成:徳橋功
ご意見・ご感想は itokuhashi@myeyestokyo.com までお願いします。

 

Ayaka Sugiyama “vivi”
川上産業 社長室 常務取締役/プチプチ文化研究所 所長

 

「できない理由」を語るあいだに行動したい。今の私があるのはその積み重ねだと思います。

 

今回のインタビューのテーマは、かなり思い切って「マリッサ・メイヤーへの挑戦状」です。
若干37歳で世界的ネット企業「Yahoo!」のCEOに就任したマリッサ・メイヤー氏は確かに素晴らしいでしょう。でも、この日本にも若い女性経営者はたくさんいます。今回ご紹介する杉山彩香さんもその一人です。「プチプチ®」という愛称で知られる気泡緩衝材メーカー・川上産業株式会社で常務取締役を務められています。

ただし、杉山さんが他の女性経営者と大きく異なる点がいくつかあります。

① ライブハウスで自らステージに立つ。
趣味ではありません。CDもリリースしています。 *杉山さんのライブ映像はこちら
② イベントのMCを務める。
有名タレントさんと同じステージにも、全く気後れすることはありません。
ラジオ番組のパーソナリティを務める。
週1回の30分生放送を、ゲストを迎えながら完璧にコントロールします。

「社員は皆、私が遊んでいるように思っているでしょうね」と杉山さんは笑っていましたが、これらは遊びではなく、れっきとしたプチプチ®広報活動なのです。でも杉山さんは、誰よりもこれらの活動を楽しんでいるように見えます。

かつては物を梱包するためだけに使われてきたものを「触ったらつぶしたくなる」という特性と人間の心理に着目し、玩具に転用。さらに梱包だけでなく”ラッピング”という女性らしい発想を加えて、かわいらしく鮮やかなプチプチ®をプロデュース。そうかと思えば、プチプチ®の構造を応用した太陽電池パネルのコア材開発にも携わったご経験を持っています。

男臭かった資材メーカーに入社した可憐な女性が、どのように自らの道を切り開き、そして女性として会社初の常務取締役にまで登り詰めたのか・・・日本だけでなく、世界中の女性に読んでいただきたいインタビューです!(ですので英語にも訳します)

<杉山彩香さん>
神奈川県生まれ。東洋大学短期大学観光学科(現 東洋大学国際地域学部国際観光学科)卒業後、99年川上産業入社。
(主な業績)
●業務用だったプチプチ®を一般客向けに販売するネットショップ「プチプチSHOP」を開店。
●プチプチ®の魅力を広めるために「プチプチ文化研究所」を設立。
● 『日経WOMAN』ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008受賞。
● 2008〜10年、JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同研究ユニットリーダーを務める。

*インタビュー@川上産業株式会社 東京営業所/東京管理室(千代田区)
*英語版はこちらから!

写真提供:川上産業株式会社 

 

私がステージに立つ理由

私は過去にバンド経験も無いし、ステージに上がったこともありません。では、なぜバンドをやっているか?!というのも、バンド名は「プチメタル」で、歌はプチプチ®のことを歌っているわけですから、私には自信があったんです。「ラッピングのようなカワイイものからプチプチのおもしろさ、そして少し難しい技術的なことまで、どう考えてもプチプチ®について日本一幅広く話せるのは私だ」って。だからMCや商品説明の延長線として歌っているという感じなのです。このきっかけになったのが、GYPSY QUEENというバンドのメンバーとの出会いでした。

GYPSY QUEENは1997年に結成された、日本を拠点にアジア各国で活躍を続けている類まれなるバンドで、他のミュージシャンがあまり行かないようなラオスやブルネイ、モンゴルでも演奏経験があり、公演回数は120回を超えています。私は2005年の春、友人に誘われて行ったお花見の席で偶然彼らに出会いました。海外に興味があり、中でもアジアが大好きで、特にタイには学生時代によく行っていた私は、彼らとすぐに意気投合しました。

出会って間もない頃は、都内でライブがある時に写真撮影や受付をお手伝いしたり、時々飲み会に参加させていただく程度でした。でも同じ年に実施されたGYPSY QUEENの中国ツアーに旅行のつもりで同行させていただいた時に、とても刺激を受け感激し、以降全てのツアーに帯同させていただくようになりました。

同じ頃、プチプチ文化研究所では「プチプチ®オフィシャルブック」を制作していました。そのことをGYPSY QUEENのリーダーであるAkiさんという方にお話したら「本を出すならプチプチ®の音楽もあった方がいいんじゃない?」と彼にとっては日常的、でも私にとってはびっくりの意見を言ってくれました。驚きつつもそのアイデアに賛成したら、すぐに曲が出来上がってしまいました。そしてAkiさんがメンバーを集め、私をボーカルに据えた「プチメタル」が2005年8月に結成されました。それ以来、ずっとステージで歌い続けています。

私はこれまで、どんな仕事が来ても断りませんでした。でもステージに上がって歌うなんて、普通なら断るでしょうね。でも私がこれをも断らなかったのは、かつて表現者に憧れていたからかもしれません。小・中・高時代は女流棋士やテレビ局のアナウンサー、それにビデオジャーナリストに憧れていましたから。


左からシングルCD「プチプチなのなの」「プッチンスカットのうた」「Touch Your Dream」

 

他人のアイデアを形にする

私が当社に入ったことによって、それまでの梱包資材メーカーというカタい会社のイメージが柔らかくなり、それにより物が言いやすくなったり、アイデアを出しやすい環境に変わったかな、と勝手ながら思っています(笑)

私は幸運にも数々の商品の開発に携わることができ、その中には大ヒット商品もありました。でも私は決してアイデア豊富な人ではありません。ユニークで独創的なアイデアをたくさん持っているのは、当社社長の川上肇なんです。社長は昔からいろんなアイデアを口にしていたそうですが、社員からは冗談だと思って受け流されていたらしい・・・?と聞きました。

だから私は、社長の冗談のようなアイデアを真剣に聞いて形にしていく人ですね(笑)。そうは言っても、まだ社長のアイデアの3割くらいしか実現できていないと思います。その過程で私なりのカワイイ要素やちょっとしたアイデアを加えていきます。そんなプロセスを経て、だんだんと会社の雰囲気がオープンになってきたのかな、と感じています。

今では、社長以外にも多くの社員が年齢や部署関係なくアイデアを出し合い、そのアイデアを実現できつつある会社になっています。

 

「組織に入ろう」

短大に入学してすぐに、知人からの依頼でホームページを作るお仕事をさせていただくようになりました。経験はなかったのですが、小学生の頃からパソコンなどが好きで独学でホームページ制作を学んでいました。

そして短大卒業後も、変わらずにウェブ制作の仕事を続けていました。楽しく・自由にお仕事をさせていただいていたのですが、そのうちに感じました。「私は一つのことに時間をかけて深めていくような仕事に向いていない」と。

なぜなら、私は作業が早い分「これくらいでいいだろう」と思ってしまうんです。恐らく他の、もっとスキルの高いデザイナーさんに指示をする、つまりディレクションやプロデュースの方が私には向いていると思いました。もっともその頃は、ディレクションやプロデュースについて正しく理解していたとは思えませんが・・・。

もう一つエピソードがあって、学生時代にダブルスクールで美容学校に行っていたんです。でも、実際にすぐに分かりました。美容関係は好きだけど、美容技術を施すより、施されるのが好きだったと。

こんな風にたくさんの失敗や無駄を経験しました。でも、興味があるものを「いずれやろう」と思うよりは、やりたいと思ったその時に、まず半歩でも踏み出してみる。それだけで憧れと実際のギャップも分かるし、向き・不向きも分かると私は思うんです。

そんな経験を通して、私は「プロデュースするような仕事をしてみたい」「視野を広げるためにも組織で働きたい」と思うようになりました。

 

私に合う会社って?

短大を卒業してしばらく経って、ようやく就職活動を始めました。私は、その時4つの条件を考えていました。①知っているものを作っている会社、②中ぐらいの規模の会社、③ホームページがあまり充実していない会社、④真面目そうな会社。これらの条件を満たす会社を探そうと思いました。

そこで私は、東京商工会議所の会員リストを手に取りました。当時若干20歳の私は、そこの会員ならきっと真面目な会社だろうと思ったんです(笑)50音順に並んでいたので「川上産業」の名前は割と早く見つかりました。業務内容は一言「プチプチ®の製造・販売」でした。

”プチプチ”という言葉の響きがすごく面白そうだと思いました。そこで川上産業のホームページを開いたら・・・(笑)私が掲げた4つの条件全てに当てはまると思った私は、当時は社員募集をしていなかったにも関わらず「御社で働きたいのですが」というメールを川上産業に送りました。1998年、まだメールがそれほど普及していなかった頃で、当社もメールアドレスが代表アドレス一つしかありませんでした。それなのに私がメールで応募したものですから、そのメールを受け取ってくれた方が社長に私のことを伝えてくれて、それで面接させてもらうことになりました。

仮にもし川上産業の紹介が「緩衝材の製造・販売」だったら、私は目もくれなかったと思います。また、川上産業以外に興味を持った会社はそれより前にリストアップされていた会社に無かったし、川上産業より後に名前を連ねた会社も、私は見ていません。「プチプチ®」が引き寄せてくれたご縁を感じています。

 

「何でもやります!」

私はパソコンは好きだけれどもプログラマーになれるほどでは無いし、ウェブ制作についても制作会社で通用するほどのスキルも無い。だから「とにかく何でもやります!」という気持ちでした。営業でも事務でも何でも経験して、その上でウェブ制作経験を生かした仕事に就ければいいと、面接時には伝えていました。内定の連絡をいただいた時にはとってもうれしく、その後の未来を想像してワクワクしたことを今でも覚えています。

そして1999年4月、晴れて川上産業に入社しました。「社長秘書をしながらウェブ制作もすればいいのではないか」ということで、社長室に配属されました。なんと、最初からウェブの仕事に携わることができたんです。そして、社長室という部署柄、営業や技術、工場などあらゆる部署、そしてそれらの部署にいる人たちと関わりが持てました。アイデアを具現化したり、何かプロジェクトを立ち上げるたびに「このことはあの人に聞けばいい」ということが、だんだん分かってきました。それを早いうちに学べたのはとても貴重だったなと今振り返って思います。


入社間もない頃の杉山さん。現・川上産業株式会社相談役の中村浩さんとともに。

 

プチプチを一般家庭にも

プチプチ®は壊れやすいものを衝撃から守るもの、そして指でつぶすものです。誰もが一度は手に取ってつぶしたことがあると思います。私ももちろんその一人でした。でももう少し詳しいことはあまり知られていません。それでいながら、多岐にわたる業種・業界でこのプチプチ®は使われています。みんなが知っていて、でも知らない。そのギャップが、私は面白いと思いました。

当社で製造しているプチプチ®の8〜9割は、代理店を通して日本に工場を持つ大手メーカー様に向けて販売しています。そして残りの1〜2割を、ホームセンターなどで一般の方々に販売しています。1999年に入社し、ホームページをリニューアルしたことで、プチプチを実際に使っている方から直接当社に問い合わせがメールで来るようになったんです。

そしてそれからすぐに、Yahooオークションがマニアから一般人に広まった時期と重なって「商品を発送するのにプチプチ®が少しだけ欲しい」といった情報が入り始めました。でもメーカーがエンドユーザーに直接販売するのはタブーとされていたので、問い合わせが入るたびに、その方の近くのホームセンターなどをご紹介していました。ホームセンターが近くに無い場所については、包材問屋さんをご紹介していました。

あまりにもまどろっこしかったので、ある日社長に提案しました。「ネット通販をしたいのですが」と。社長はすぐにGOサインをくれました。そして2001年に「プチプチSHOP」をオープンさせました。先述した業界のタブーがあったので、BtoBではなくBtoCにコンセプトを固めました。そして、家庭でも便利に楽しく使えるプチプチ「プッチンロール」と「プッチンバッグ」という商品を発売しました。そしてつぶすためだけの「プッチンスカット」もこの当時から発売し、これら3アイテムでショップをスタートしました。これを機に以後、商品の企画・開発にも携っています。

 
左からプッチンロール、プッチンスカット、プッチンバッグ

 

カワイイプチプチがほしい!

包装資材は「縁の下の力持ち」的な存在です。でも「包装資材であっても主役級になるような、カワイイものが作りたい」と思いました。カワイイ商品が無いと、私がイヤだったんです(笑)。

♡型や☆型のプチプチ®があってもいいんじゃない?というアイデアは、よく出るアイデアです。創業当時から話があったことを聞いていますし、私がプチプチの会社に入社することを友人や家族に報告した時にも、そのうちの数人はそのアイデアを口にしていました。それでも商品化されてこなかったのはなぜか。それは技術的な問題と、それを作ったところで誰が買うのか、という疑問が社内にあったからでした。

しかし1年ほどプチプチショップを運営する中で、ラッピング資材をインターネットで探している女性の存在や、梱包でオリジナリティを出したいという小売店の方がいるということを感じていました。その情報を社内で報告しながら、カワイイハート形のプチプチも作りたいという話をしたら、当社の技術者が乗ってくれたんです。もちろん技術者とも日頃からコミュニケーションがとれていたからこそ出来たことで、それが社長室に所属して良かったことですね。

 

梱包材がこんなにおしゃれでカワイく変身♪
*撮影:My Eyes Tokyo 

 

自然に生まれた広報の仕事

入社して間もない頃、「プチプチ®の日」を作ろうというアイデアを社長が思いつき、すぐに奔走しました。社内公募の結果、8月8日がいいということになったのですが、それが記念日として認められるために、当時(1999年)はホームページを持っていなかった日本記念日協会に連絡を取りました。

そしてこの「プチプチ®の日」を作ったことがきっかけで初めて取材依頼をいただき、私が対応させていただきました。2004年に「はぁとぷち」という♡型のプチプチ®を作った時も取材が来ましたが、企画者が私だったので私が取材に対応しました。なんとなく「取材が来たら杉山に回す」という暗黙の了解が全社的に広がっていました。その過程で遅ればせながら「広報」という職種を知り、そのお仕事のおもしろさを感じるようになりました。

企画し、試作して、デザインしたものを生産し、生まれた商品をPRして販売する。そして販売して使い終わったものをリサイクルする。メーカーならではのモノづくりのストーリーの中に、自分がリアルにいるからこそ語れることがあります。製品だけのPRではなく、全体のストーリーを上手に世の中にPRすることに、私は使命感を感じています。

 

取締役、そして常務へ

2005年、愛知県で「愛・地球博」が行われました。”自然の叡智”がテーマのこの万博に、名古屋に本社を置き、『くうきとともだち』をスローガンに燃やしても無害のプチプチ®を製造・販売してきた当社が、プチプチ®で作ったものを出展させていただくことになりました。

私はそのプロジェクトリーダーを任されました。きっかけは単純で、取材以外の電話や連絡も私に回ってくるようになったからです。万博主催者からの出展のご案内を、別の社員を介して私が受けたと記憶していますが、それで私が陣頭指揮を執ることになりました。

「愛・地球博」自体は2005年3月25日~9月25日までの半年間の開催でしたが、当社が出展したゾーンは、期間限定のプログラムが次々と実施されるタイムシェアパビリオンでしたので、最初の1ヶ月間のみの出展でした。当社はパビリオンの屋外に「プチプチハウス」を展示、屋内では「プチプチワークショップ」を開催しました。このプロジェクトには約100人の社員が参加し、私がチームを率いたわけですが、本当に大変でした。

1ヶ月間雨風に耐えられるものをプチプチ®で作らなくてはならないし、しかも万博という世界的なイベントにふさわしいものでなくてはならない。「プチプチ®で恐竜を作ろう」などのアイデアが出た中で、最終的にはプチプチ®で家を作るところに落ち着きました。骨組み以外、全てプチプチ®で作るという試みです。まだ入社5年目ほどだったので、社内調整やチームスタッフのスケジュール管理などで至らない点が多々あり、いろいろな方から怒られました。しかし、得がたい経験をさせていただいた貴重な思い出です。

その後の2006年には『プチプチオフィシャルブック』を無事発売、2007年の「∞(無限)プチプチ」発売へとつながります。「∞プチプチ」は、玩具メーカーのバンダイの方が「プチプチ®のおもしろさ」に気づき、「ネットで調べたら、いろいろなプチプチグッズ、本、さらに歌まである!」と”プチプチワールド”に感激していただき、ご連絡いただいたことがきっかけです。

「∞プチプチ」はその後、アメリカやヨーロッパ、アジアにも輸出され、累計販売数は約300万個という大ヒット商品になりました。そして雑誌『日経WOMAN』から「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」をいただき、2007年暮れに取締役に、2011年3月に常務に就任しました。


つぶしてもなくならない「∞(無限)プチプチ」
*参考動画:http://youtu.be/3dNCMVWZuLs 

 

決して無理しない

だけど私は、戦略的に社内の空気を変えようなどと思ったことはありません。それに私は、リスクを背負いながらも起業をする若い優秀な方たちとは違い、無理することなく、自分にちょうど合った高さの階段を上って来たに過ぎません。そしてその階段は、社内外の周囲の方につくっていただいたものだと思っています。今後は、若い人たちのためにそういう階段をつくっていく役目も全うしたいですね。

また一番最初に申し上げたバンド「GYPSY QUEEN」との音楽活動が、アジアの人たちとの交流にまで発展し、それにより得られる社外活動での経験や刺激が、普段の仕事人生でも大いに生きています。音楽づくりとモノづくり、アーティストとビジネスパーソン、両方知っているからこそその根底にあるものはほとんど同じと感じています。また「継続は力なり」という言葉がありますが、私は点と点が必ず結びつくことを成功体験として感じていますので、これからそれがもっと拡がることを信じています。

 
「音楽でアジアをひとつに」がテーマのLove Asiaコンサート。杉山さんはこのイベントのプロデュースやMCも担当しています。
写真左:Love Asia Vol.18でのGYPSY QUEENのパフォーマンス 写真右:GYPSY QUEENリーダーのAkiさんと共にライブを進行
撮影:My Eyes Tokyo 

 

自分で範囲を決めない

取締役になった時は、ただ「頑張ります」という気持ちだけでした。でも私が自信を持っているかと聞かれたら決してそうではなく、一方ですごいプレッシャーも感じていません。だから与えられた役割については、素直に「頑張ります」という気持ちだけですね。

同じように、これまでも私に回って来た仕事で断ったものとか「私にそれはできません」と言ったものは無いです。プチプチハウスのプロジェクトリーダーに指名されたときも「もっとふさわしい人がいると思うのですが・・・」などと言って断ったりしなかった。それは私のポリシーでもある「考えるよりも、まずは半歩でもいいから踏み出してみる」にも通じるところがあると思います。それは「やって失敗したら、その時はその時だ」という思いだけでなく「失敗しても、きっと周りが助けてくれる」という周りの方への信頼感があるからできることなんです。「できない理由」を語るあいだに、行動したい。今の私があるのは、その積み重ねだと思います。

これまでの当社の活動により、プチプチ®や会社の認知度が一般にまで知れ渡り、新卒採用も増え、女性社員も増えました。女性の中には、ありがたいことに私の記事などをご覧になって入ってきた人もいます。

また、講演に呼ばれることもあります。その時に私が申し上げるのは「自分の気持ちや欲求に素直になろう。そしてそれを声に出して言おう」ということです。そういう気持ちが自分の周りの空気や環境をつくったり、商品開発につながるからです。

そして繰り返しになりますが「まずは半歩でも踏み出してみる」「自分で範囲を決めない」ということですね。自分を小さくするのも大きくするのも自分ですから。


プチプチ一粒一粒にインクを入れてドット絵画を作ることができる機械「Very Slow Scan Television」の製作に携わったオーストリア人アーティスト、セングミューラーさんを囲んで。川上産業はこの機械をセングミューラーさんより譲り受け「プチリンター」と命名。

 

もうひとつ大事なのは「自分の弱みを見つけたらポジティブに方向転換すること」だと思います。そのためには日頃からアンテナを張り、いろんなものを見て、いろいろな方と対話することが大事だと思います。 私の場合、この切り替えがすごく早かったから、弱点に飲み込まれずにここまで来れたのだと思いますね。

あとは高い志を持つこと。150年後から振り返った時に誇れることをしたいと思っています。ITは大好きだけど、ハートを大事に生きていきたいです。

 

杉山さん関連リンク

川上産業株式会社:http://www.putiputi.co.jp/
プチプチらじお!:http://www.putiputi.co.jp/putirabo/WALLOP/wallop.html
プチプチ大好き!&プチっとAsiaなブログ:http://blog.nikkeibp.co.jp/wol/sugiyama/
プチプチSHOP:http://shop.putiputi.co.jp/ *楽天内shopはこちら
プチメタル on Myspace:http://www.myspace.com/putimetaljp
Gypsy Queen公式HP:http://www.gypsy-queen.com/

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