ミヴェラス・ヴィンセントさん(スイス)
インタビュー&構成:徳橋功
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Mivelaz Vincent
武道家
ようやく日本で自分のルーツに出会うことができました。
今回ご紹介するのは、スイスからやって来た“忍者”です。ミヴェラス・ヴィンセントさん、武神館武道体術三段の武道家です。
武神館:日本の古武術の道場。忍術、体術、武器術と幅広い武術を教えている。世界50か国に道場が存在。門下生には世界各国の軍人や警察関係者も多い。創設者は戸隠流忍術34代目継承者の初見良昭氏。
My Eyes Tokyo主宰の徳橋功は、2002年のFIFA日韓ワールドカップ期間中、埼玉県内でヴィンセントさんに出会いました。ヴィンセントさんにとっては初めての日本。彼らは同じゲストハウスに滞在し、一緒に周辺を散策したり、都内で遊んだりしていました。
やがてヴィンセントさんは日本人女性と結婚。さらに日本とのつながりを深くしました。
2人がゲストハウスを離れてからも、徳橋は都内でヴィンセントさんに何度か会いましたが、彼のこれまでの半生については知らずにいました。そこで今回は長年の友に改めてインタビュー。日本行きを決めるまでの経緯や、日本に惹かれた末に“忍び”の道に生きることを決めた理由についてお聞きしました。
*インタビュー@六本木
*英語版はこちらから!
英語版校正:ダニエル・ペンソ
ゲーマーから武道家へ
日本にはほぼ毎年来ています。東日本大震災の直後も来ました。武神館武道体術の修行のため、2002年以降スイスから日本に来ています。もちろん僕は武道に関わり始めて以来、ずっと日本に来たいと思っていました。でも僕は長旅に向けた準備をする前に、やるべき勉強を終える必要がありました。それに当時はまだ若く、スイスから日本という長い距離を旅するのは、自分にとってちょっと普通ではないことのように思えたのです。
僕の武道家人生は10歳の時に始まりました。僕は12歳まで柔道をしていました。母が僕を何とかして外に出したかったようです。なぜなら当時はゲーム人気が高まっていて、僕はめちゃくちゃゲームにハマっていたからです。おかげで僕はいわゆる“オタク”になりました。
素晴らしい柔道の先生に出会ったおかげで柔道が好きになり、橙帯を取得しました(*帯の色は白→黄→橙→緑→紫→茶→黒→紅白→赤の順に変化)。僕はもっと柔道を続けたかったのですが、柔道に割く時間を勉強に充てる必要が出てきました。失読症という問題を抱え始めていたからです。
忍術との出会い
1997年、17歳の頃、僕はもう一度何かやってみたいと思いました。当時の僕はオタクカルチャーの真っ只中にいた痩せっぽちだったから、体を鍛えて人間として強くなりたいと思ったんです。そして僕は偶然、友人を通して武神館武道体術に出会いました。そして師匠と出会った瞬間、僕がやりたいことがはっきりと見えてきました。
その師匠はウェルネルというスペイン人で、スイスに住んでいました。やがて彼は僕にとって兄のような存在になりました。今の僕を形作ってくれた人です。師匠は言いました。「戦士である前に紳士であれ」と。僕はその言葉を胸に刻みました。
師匠が言ったもう一つの言葉が、戦士になる道の追求を終わらせました。20歳の時です – 「自由の代償は、尽きることのない警戒心なのだ」
師匠の死
悲しいことに2005年、僕は師匠を失ってしまいました。彼は39歳の若さで胃癌で亡くなりました。本当に打ちのめされました。しかしそれから僕は決めました。「僕が習得してきたものを次の世代に伝えていこう」と。なぜならそれが僕に与えられた任務だと思ったし、教えることは決して忘れられるべきものではないからです。
僕は別の“先生”を紹介されました(彼は僕の“師匠”ではありません。師匠と呼べる人は、たった一人だけです)。彼はフランス人の教授で、僕の師匠は自身の死の1年前に彼と出会っていました。僕は師匠の死後、先生のセミナーを受け始めました。
僕はヨーロッパ中を周り、先生のセミナーを一つ残らず全て受けました。それは「あなたについて行きます!」という意思を彼に示すためでした。僕の師匠の道場出身の友人と共にそれを5年間続け、2010年に先生は僕らを受け入れてくれました。つまり、先生は僕らにテストを出していたということです。彼の修行に対する僕らの真剣さを見たかったのだと思います。それに合格して以来、先生は僕らに指導して下さっています。そして僕らは自分たちの道場で初となるセミナーを開き、それ以来毎年セミナーを開催しています。
後に続く者たちへ
ちなみに、僕自身は師匠ではありません。確かに道場を持っていますが、生徒たちには僕のことを師匠とは呼ばせません。代わりに“コーチ”と呼んでもらっています。僕は彼らに教えるのではなく、僕が持つスキルや技術を“共有”するという意識で臨んでいます。
僕は生徒たちに、師匠の遺志を継いでほしい –「戦士である前に紳士であれ」
「自分のことばかり考えるな、自意識過剰になるな、傲慢になるな。無私無欲であれ、隣人を大事にせよ、最期の瞬間まで隣人の命を大切にせよ」。僕は自分が師匠や先生から受けた知識を次世代に伝えます。それが僕の任務です。
武道は戦いと死につながっています。だから軽々しく扱われて良いものではありません。それは僕たち全員が理解していなくてはならない責任なのです。
ヴィンセントさんにとって、日本って何ですか?
僕が子どもの頃に持っていなかった物の象徴です。
それは僕から遠いところに存在し、僕が知っていたものとは違うものでした。しかし10代後半の頃、僕自身が古代ケルト人の末裔であることに気づいた後、日本が何であるかを知ったのです。日本文化とケルト文化の間には、多くの共通点があります。両方とも地球から、地面から生まれる力を信じるという点で共通しています。
僕はこれまでの人生で、自分のケルトのルーツにつながったと感じたことはありませんでした。ケルト文化が色濃く残るアイルランドに行った時でさえも、故郷のように感じることはありませんでした。
しかしここ日本で、それが実現したのです。僕は自分の内側の奥深くにある感情を、ようやく理解できたのです!
ヴィンセントさん関連リンク
武神館:fudoan.cdx.jp/bugei/bujinkan/bjk.htm