ルイス・カルロス・セベリッチさん(ボリビア)
インタビュー&構成:徳橋功
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Luis Carlos Severich
歌手・ギタリスト(フォルクローレ&ラテン音楽)
(1983年より日本在住)
僕はいつか、日本の歌を日本語で歌いたい。
今回のインタビューのお相手は、ラテン音楽界で大活躍!南米ボリビア出身の歌手兼ギタリスト、ルイス・カルロス・セベリッチさんです。
カルロスさんの日本生活は約25年に及び、その間に「ロス・トレス・アミーゴス」などのグループでの活動を通じて、自身の文化や音楽を日本に広めてきました。また南米で活躍していた当時、彼はフォルクローレ界のスーパースターとして、アルゼンチンでゴールドディスクを獲得したこともありました。
そんな凄腕ミュージシャンのカルロスさんは、なぜ日本にやってきたのでしょうか?そして彼が東京のど真ん中に降り立った時、一体何を目にしたのでしょうか?
*インタビュー@西池袋公園
英語版はこちらから!
“真夏にネクタイ”が超カッコイイ!
僕が初めて日本に来たのは、1976年7月16日。この日は僕にとって記念日ですね。日本に来る前、僕はアルゼンチンのブエノスアイレスにある日本大使館に行って日本の社会や経済、文化に関する歴史を調べました。
僕が日本の生活様式について書かれた本を読んだ時、日本のサラリーマンやOLさんたちの写真を見ました。彼らはスーツやネクタイ、制服に身を包んでいたのですが、それらがとてもカラフルで、すごくカッコよかったんです。しっかりした足取りで歩いていて、自信に満ちているように見えました。
そして僕らが東京国際空港(羽田空港)に着いた時、僕は彼らを生で見たのです。その時は暑い夏だったにも関わらず、ネクタイをしていました。それがとっても素敵でした。背筋をまっすぐに、颯爽と歩いていたのが、強く印象に残っています。
もうひとつ印象に残ったのが“におい”です。日本に着いた瞬間、海の香りがしてきたのです。これが南米だと、土の香りになります。
「昼ごはんは3分で」
空港にはレコード会社の人たちや僕らのマネージャー、音楽事務所の社長がずらりと勢揃い。たくさんの花束までいただきました。これには僕も圧倒されました。彼らが私たちに敬意を表してくださっているのを感じたからです。「これが日本なんだ!」と思いました。それに着物を来ている人たちまで目にして、それはもう美しかったです。初めて見ました。日本にあるものを全て見ようとしたら、目が2つではとても足りません(笑)
人の多さにもびっくりしました。団塊の世代の人たちは当時は若かったから、サラリーマンや OLさんがそこらじゅうにあふれていたんですよね。彼らはとってもエネルギッシュでした。「これが本当の日本の姿なんだ」と思いました。彼らが一生懸命働いたおかげでソニーやセイコー、ヤマハのような大企業が生まれたのだ – そういうことに気がついたのです。
毎日がカルチャーショックの連続でした。日本の生活に関心があったからかもしれません。例えば、サラリーマンは食べるのが速かった。音楽事務所の社長は言いました。「昼ごはんは3分とか5分で食べないと、良いビジネスマンにはなれないんだ」。もう信じられませんでした。ボリビアでは、お昼ご飯はだいたい1時間半 かけて食べます。その間、僕らはお互いに近況を伝え合います。日本人は僕らとは全く違うんだと感じましたね。
一方で、日本人はとっても気さくでした。南米では僕らはスーパースターだったから、人は僕らに話しかけるのを躊躇してしまう。でも日本人は逆に僕らに興味を持ってくれました。日本人スタッフさんが僕らの活動を、僕らの文化に合う形でプロモートしてくれました。それがとても良かったですね。
ウェイター いつでも誰でもウェルカム
僕は日本で、できるだけたくさんのものを見ようを思いました。それは南米のメディアからのインタビューに備えてのことです。彼らは必ず「日本でどんなものを見ましたか?」とか「日本の社会環境はどんな感じですか?」と尋ねてきます。僕らは日本のことを知らなかったし、日本人は日本のことを、僕らから聞いても教えてくれませんでした。それだけ日本人はシャイなんですよね。だから僕らはますます日本に興味を持ちました。
日本なら、どこのレストランに行ってもウェイターさんやウェイトレスさんがおしぼりとお水を持ってきます。そして「いらっしゃいませ!」と言ってくれる。こんなサービスはボリビアでは考えられないです。だから日本だと、自分たちが何だか特別なお客様になったかのような気分が味わえるんです。
ボリビアでは全く経験してこなかったことばかりを日本で経験してきました。そういうこともあり、僕は日本の歴史を学び始めました。スペイン語で書かれた徳川家康の本を買って読みました。それで日本のことがさらに好きになりました。
日本人に恩返し
僕は日本で新しい生活を始めたいと思いました。南米の仲間たちのことは、僕はもちろん大事に思っている。だからこそ彼らから離れようと思いました。僕は日本に根を下ろしたいと思いました。
僕が人生の新たなページを書き始めた時、いったい何が起きるのだろうかとワクワクしていました。日本で音楽活動を始めた時、僕は自分の物語の中の素晴らしいページを作りたいと思いました。今はちょうど、物語の真ん中あたりですね。僕は自分が決めたことに嘘をつきたくないし、自分にも嘘をつきたくない。これらさえ守っていれば、僕は誰もに理解してもらえるような物語を書き進めていけるでしょう。
僕の演奏する音楽は、年齢とともに変化しています。僕はかつてヒットメーカーでしたから、そのキャリアを日本でも生かしたいと思っています。それを実現させるためには、僕は日本のことをさらに学ばなければいけないと思っています。言葉や文化、慣習や社会ですね。僕はこれから自分がどんなふうに日々の生活を楽しんでいくか見てみたいし、日本の人たちに恩返しをしたいのです。だから僕は自分の名前を売りたい。そして日本のアーティストたちと共演したいと思っています。
今では、母国のボリビアよりも日本の方が合っていると感じるくらいです。もう日本は完全に僕にフィットしていますね。もはや日本は僕の国のように感じます。考え方も日本人のようになってきています(笑)
外国人の僕と一緒に頑張ろう!
最近は学校での講演を頼まれることが増えてきました。時には少年院に行くこともあります。子供たちの前で歌って、それからお話しするのがお決まりです。
僕らは全員、“日本”という名前の船に乗っていて、船を動かすためにみんなが懸命に働いている。だから僕らはそういう人たちを大事にしなければなりません。特に少年院にいる子供たちはまだまだ未熟ですから。とにかく、そういうことも含め僕にはやることがたくさんあります。
僕は日本の童謡を歌ってみたいです。だから先生や専門家、地方の人々と触れ合って、彼らの音楽に耳を傾け、彼らの魂を感じたい。これは僕にとっては宿題のようなものですね。僕は日本語だけで、しかも和楽器と一緒に歌いたいと考えています。
そして僕は、世界中の人たちに向けて歌いたい。例えば映画「ラストサムライ」で、誰が主役の“最後の侍”を演じましたか?トム・クルーズですよね。僕はそれと同じことをしたいのです。だから僕は日本の歌を、日本語で歌いたいのです。たとえ何年かかっても、必ずや実現してみせます。
日本人は今、精神的に弱っているように見えます。彼らは不安を感じている。だから僕が元気付けたいんです。「みんな、頑張ろう!外国人の僕も、いつも頑張っている。だから皆も一緒に!」ってね。日本人は廃墟の中から立ち上がるべきです。
僕は自分の活動を通じて、人に心地よくなってほしい。いつも考えているのは、それだけです。
*撮影:竹森正幸さん
カルロスさんにとって、東京って何ですか?
東京は伝統を随所に醸した素晴らしい街です。文化的な香りに満ちていますね。
平成30年2月28日、アンデスの音楽をどうしても聞きたくて長野から東京へ行き、ノチェーロでルイスさんの音楽を初めて聞きました。
もう感動しました。この言葉に尽きます。「感動しました。」
演奏と演奏の間に私たちと話をして頂くなんて思ってもみなかったので良い思い出になりました。
38年前に初めてアンデスの音楽を聴きそれ以来、私が一番好きな音楽になりました。
また、ノチェーロに行きます。ありがとうございました。
初めまして、My Eyes Tokyoの徳橋と申します。宮澤様のご感想をお聞きし、私たちまで嬉しくなりました。ぜひカルロスさんにお伝えしたく思います。記事をお読みくださり誠にありがとうございました!