ウィラサクレック・ウォンパサーさん(タイ)

インタビュー&構成:徳橋功
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Weerasakreck Wongpasser
ムエタイジム経営者
(1993年来日)

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私は自分が好きなことを仕事にしている。だからとても幸せなんです。

 

今回はアメリカン・ドリームならぬ「ジャパニーズ・ドリーム」を実現した方をご紹介します。数多くのムエタイ選手を育て上げたウィラサクレック・ウォンパサーさんです。

ウィラサクレックさんが母国タイを離れた時、彼はたったひとつのバッグとわずかばかりのお金しか持っていませんでした。しかし今では、首都圏と九州に計9つのジムを持つまでになりました。

あふれんばかりのエネルギーと強い意志が、ウィラサクレックさんを夢に導きました。さらにご両親への愛も事業の成功への力になりました。格闘家から事業家に転身し、今では古着を貧しい子供たちに贈ったり、学校を建設したり、寺院を改築したりするなど、タイの発展に寄与するプロジェクトにも関わっています。

レイモンド・チャンドラーの小説「プレイバック」で、探偵フィリップ・マーロウは「タフじゃなくては生きていけない。優しくなくては、生きている資格がない」と言います。この言葉は、まさにウィラサクレックさんの人生だと思いました。

雨にも負けず風にも負けず成功を勝ち取った、一人の男の物語をお楽しみください。

*インタビュー@ウィラサクレック・フェアテックス本社(東京都台東区)

英語版はこちらから!

 

バッグ一つで日本を目指す

私は日本初の本格的ムエタイジムを経営しています。トレーナーは全員が本場タイで経験を積んだ者ばかりです。朝晩いずれのトレーニングにも対応します。しかも他のフィットネスクラブよりも安いです。女性会員さんからは「1回のスパーリングでも痩せるから、ムエタイは美容にすごく効果がある」というご感想をいただいています。

そのような理由から、私のジムは日本人の方々の間で人気になり、おかげさまで日本全国に9つのジムを持つまでになりました。しかし私が初来日した頃は、バッグ1つとわずかなお金が全財産でした。

 

侍の国

そのバッグに入っていたのは、リーバイスのジーンズ2本、ムエタイ用トランクス、Tシャツ3枚。それが私の荷物の全てでした。

私はかつてムエタイ選手でした。20歳で引退した後、トレーナーに転向しました。日本円で月給6,000円。これはタイでも低賃金でした。だから日本に来てもっと稼ぎたいと思ったのです。だから日本のジムからお誘いがあった時は、労働条件など考えませんでした。

当時の私の夢は、両親に家を買ってあげること。だから良い給料をもらって両親に送金すれば、その夢が叶うと考えました。だから日本に来たのです。

とはいえタイにいた頃は、日本のことは全然知りませんでした。時代劇を見て日本のことを知ったから、日本は「侍の国」だと思い込んでいました。侍にキックボクシングを教えるのも面白そうだと思いました(笑)

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ウィラサクレックさんのジムの運営本部。5階建てのビルを一棟買いした。
東京都台東区

 

月給6万円

来日後、私は2つの仕事を掛け持ちしました。まず朝8時から日が暮れるまで建設現場で働き、夜6時から10時までジムのトレーナー。毎朝6時に起きて夕飯を食べに帰宅しジムに行く。そんな毎日でした。

そこまで働いて、月給は何と6万円。どんなに良くても8万円でした。一緒に日本に来た5人のタイ人は、嫌気がさしてタイに帰ってしまいました。

私はジムに住み込みだったので、生活費はかかりませんでした。だから6万円のお給料のうち5万円を両親への送金に回しました。

当時私はトレーナーでしたが、時々試合にも出ました。1試合8万円のファイトマネーで、そのうち7万円を両親に送りました。

タイでは、両親は神様のような存在です。それに両親が幸せなら私も幸せです。だから喜んでお金を送りました。両親が幸せでいることが私の力になり、日本での辛い生活を乗り越えることができました。今では両親はタイに家を3軒持っています。

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生徒10人で出発

私はとっくに現役を引退していたにもかかわらず、日本で試合に参戦しました。日本での戦績は11勝0敗です。二日酔いで出場した試合で、相手の腕を折ってしまったこともありました。それにより彼は引退を余儀なくされました。本当に申し訳なく思います。

その一方で、私の噂が広まりました。都内のスポーツセンターでムエタイ教室を始めたところ、10人の方に来ていただけました。それが私のムエタイスクールの始まりです。来日2年目のことでした。

お手頃な受講料だったので、さらに多くの人たちがいらっしゃいました。毎日練習したいという生徒さんもいました。しかし私の教室にはリングもサンドバッグもなく、生徒さんは私が用意したミットを使ってムエタイを習っていました。もっとちゃんとしたジムで指導したいと思うようになりました。

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朝から朝まで

ある日私は偶然、ボクシングジムの前を通りかかりました。そのジムは夜は閉まっていたので、私は思い切ってジムのオーナーに、夕方5時から夜10時まで使わせてもらえるか聞きました。その方も随分とご苦労をされた方なので、私の状況を理解してくださり、月10万円で使わせてくれました。ジムにはリングもサンドバッグもありました。ただ看板には、彼のジムの名前が残っていました。

夜にムエタイを教えるようになったため、朝7時半から夕方4時半まではエレベーター設置の仕事をしました。そのあと夕方5時から夜10時までムエタイを教えました。

そしてジムでの指導を終えたあと、その足で焼肉屋さんのバイトへ直行。午前3時まで働きました。エレベーター設置の仕事だけで月16万円稼いでいましたが、結婚したため十分とは言えませんでした。アパートの部屋代とジム賃貸料も必要だったため、必死に働きました。私の妻も働いていましたが、彼女の稼ぎに頼りたくなかったのです。

 

ついにジムを持つ

一方で私の生徒さんが増えたため、午前3時まで働くのがキツくなってきました。しかしラッキーなことに、たくさんの人が私のトレーニングを受けてくださったため、もうレストランで働く必要はなくなりました。私は焼肉屋さんでのバイトを辞めました。

ただし日中の仕事は続けていました。エレベーター設置とムエタイジムの掛け持ちで2年間働き、200万円貯めました。「これで両親に家を買ってあげられる」。そう思いました。

しかしジムのオーナーは、私が夜間だけでなく終日ジムを借りられるか尋ねてきました。提示された賃料は月25万円。もし私が借りないのなら、そこを閉めるとおっしゃいました。そこで私は、その200万円をジムの賃料や引越料、改装費に充てました。

私は古い看板を外し、新しいものに付け替えました。 「ウィラサクレック・ムエタイジム」という、私の名前が入った看板です。生徒さんの中に看板屋さんや大工さんがいて、彼らがすごく助けてくださいました。こうして私の初めてのジムが完成しました。

しかし貯金を使い果たしてしまったため、私は再び無一文になりました。ジムオーナーでありながら、エレベーター設置の仕事を続けました。そのためジムは夜だけのオープンでしたが、ある出来事をきっかけに昼の仕事を辞めることになりました。

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ウィラサクレックさんの1つ目のジム
東京都荒川区

 

人気急上昇

ある日、私は現場監督から木を切るよう命じられました。それはすぐに終わりましたが、監督は次から次へと木を私の目の前に置いていきました。それを終えないと帰さないと監督は言いました。

しかし私にはその後、ジムでの仕事があったのです。私は監督に状況を話しました。すると監督は「なんだ、役に立たない奴だ」と言いました。私は壁によじ登り、使っていた電気のこぎりを放り投げました。そして監督に辞意を告げ、そこを去りました。

私の仕事はジムトレーナーだけになりました。つまり夕方しか仕事をしないということです。私のような外国人が就ける仕事は体力勝負のものばかりでした。

だから私は、日中の生徒さんが少ないことを承知で朝からジムを開けることにしました。朝10時から午後2時、午後5時から夜10時までの営業でした。

しかし予想に反して、日中のクラスにも生徒さんがたくさん来てくださったのです。そこで私はタイから経験豊富なトレーナーを招くことで対応しました。彼らは私のジムに寝泊まりできるので、指導に集中できました。

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本部ビルにあるムエタイ教室
東京都台東区

当時私のジムは、日本で唯一のムエタイジムでした。だから遠くからも習いに来る人がいました。それが理由かは分かりませんが、フェアテックスという会社がスポンサーしてくださることになりました。フェアテックスはグローブやトランクス、サンドバッグなどを製造している会社です。

私は銀行でお金を借り、ビル1棟を購入しました。しかしそれをフェアテックスさんが肩代わりしてくださったのです。私たちが事業を拡大すればするほど、フェアテックスさんは自社商品を売ることができます。だからスポンサーしてくださったのです。

私は強力なビジネスパートナーを得ました。私は東京郊外にもジムを作りました。ビルを購入しては、次々にジムを作っていきました。

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ウィラサクレックさんの3番目のジム
埼玉県蕨市  

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ウィラサクレックさんの4番目のジム。こちらもビル1棟買いです。トレーニングルームや宿泊施設もあります。
タイ式マッサージ店やタイレストランも2010年2月オープン予定。

千葉市幕張  

 

日タイの交流促進に貢献したい

ここまでお読みくださった方の中には、一連の出来事は全て偶然の為せるわざだと思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかしジムを持つことは、私が故郷を離れた頃からの夢でした。周りの人は、私が気が変になったのかと思いました。でも私は自分の将来を真剣に考えました。そして、自分の計画に自信があれば必ずうまく行くと信じていました。目標を設定していたから、素晴らしい人や素晴らしいことが私の元に来てくれたのです。

おかげさまで事業は順調に伸び、今では9つのジムを持つまでになりました。ただ私は、自分が好きなことに取り組んできただけ。それでも全てのジムが黒字です。今後の経済動向は気になりますが、私はジムの数をコンビニ並みに増やしたいと考えています。

私たちのジムは「M-1」というムエタイトーナメントを日本で主催しており、その目標は所属ジムを問わず全てのムエタイ選手の育成です。私はムエタイをもっと日本に広めたい。それは日タイの関係をより良くしたいという思いからです。だから私は今、この夢の実現に向けてスポンサーを募集しています。

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ウィラサクレックさんにとって、東京って何ですか?

良い街だと思います。住めば都ですよ、仕事さえあればね(笑)

 

ウィラサクレックさんにとって、日本って何ですか?

答えるのが難しい質問ですね・・・将来はどうなるか分からないけど、私の妻や子供たち、それに兄や姉が日本に住んでいますから、もうしばらくは日本に住んでいるでしょうね。

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こちらもビルはウィラサクレックさん所有。タイレストランも入っており、ムエタイショーも定期的に行われます。
千葉県我孫子市

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埼玉県川口市のジム

 

ウィラサクレックさん関連リンク

ウィラサクレック・フェアテックス:http://www.muaythai.jp/ 
M-1ムエタイチャレンジ(Facebookページ):https://www.facebook.com/M1muaythai 
フェアテックス(英語):http://www.fairtex.com/

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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