エロック・ハリマーさん(インドネシア)
インタビュー&構成:徳橋功
ご意見・ご感想は itokuhashi@myeyestokyo.com までお願いします。
Elok Halimah
川崎市外国人市民代表者会議 副委員長
(1995年に初来日。2002年より日本在住)
私たち外国人は、自分たちの要求ばかり通そうとしてはいけません。
今回ご紹介するのは、インドネシアご出身のエロック・ハリマーさんです。エロックさんは、まさに私たちMy Eyes Tokyoが待ちわびていた方でした。なぜなら彼女の活動の目標と私たちの活動の目標がとても近いからです。エロックさんは川崎市内に住む外国人市民が心地よく暮らせるような環境づくりをしていますが、草の根レベルには留まりません。彼女たちは140万人もの人々が住む大都市の行政をも巻き込んでいます。
エロックさんの目標は、異なる文化的背景を持つ人たち同士が尊重し合う多文化共生社会を築くこと。今、彼女は自らが理想とする社会の実現に向かって走っています。
*インタビュー@溝口(川崎市高津区)
英語版はこちらから!
市政に外国人の声を届ける
私は「川崎市外国人市民代表者会議」という組織の副委員長を務めています。この組織は1996年に結成された、自治体条例に基づいて活動する唯一の外国籍市民支援団体です。
例えば多くの場合、市政は外国籍市民の会議に口出しするものですが、私たちの会議の場合、川崎市はそのようなことは一切していません。このため、市内に住む外国人の声をそのまま市政に届けることができます。他者からの声に一切影響を受けていません。
他の自治体にも外国籍市民の生活を支援する団体はあります。しかし私たちは最初にして唯一、条例により保護されている団体です。川崎市役所には、私たちが諸々の提案を提出する部署があります。
私たちはこれまでに、外国籍市民支援に向けて30以上の提案を市政に対して行ってきました。その中には部屋を借りる際の提案書も含まれています。川崎市は保証人がいない外国人が部屋を借りられるようにするための相談窓口を設けました。
私たちの会議では、市役所のトップでも口を挟めない仕組みになっています。他の日本人の方々についても同様です。その一方、私たちは年に1回、どなたでも参加できる会議を開き、地元の人々のご意見をお聞きします。これは私たちにとって、多くの方々に活動を知っていただく絶好の機会でもあります。
私は川崎市内に住む外国籍市民に、この活動についてさらに知っていただけたらと思っています。今期は来年4月に終わるので、今から新しいメンバーを募っています。
魚屋さんが導いてくれた日本
私が初めて日本に来たのは、私が高校生の時でした。最初私は、ホームステイプログラムに参加してオランダに行きたいと思っていました。しかしオランダだと奨学金が得られないことを知り、しかも奨学金を受け取れる留学先は日本だけであると聞いて、私は仕方なく日本に来ました。
私のホームステイ先は池袋の魚屋さんでした。その魚屋さんはとても小さく、しかもホストファミリーは誰として国際感覚を持ち合わせているようには見えませんでした。でも実際は、彼らはインドネシア、タイ、オーストラリア、セルビア、ノルウェーなど様々な国から学生を受け入れていました。ホストファミリーと学生たちが写っている写真がたくさん壁に貼ってありました。
当時は3ヶ月だけの日本滞在でしたが、それでもとても印象に残っています。日本が忘れられなかったから、私はインドネシアの大学で日本語を学ぼうと決めました。私がインドネシアの大学にいた頃、交換留学生として再び来日し、東京外国語大学に1年間留学しました。
大学卒業後の2002年、私は東京外国語大学大学院に入学し、日本語と日本文学の知識を深めました。以来、ずっと日本です。
ダーリンも外国人
私は結婚しています。私の主人は日本人ではなく、アメリカ人です。でも彼と出会ったのは日本です。日本に住む外国人カップルにはなかなかいない例かもしれません。
主人は日本に20年以上住んでいるので、日本語は流暢です。もちろん私も負けていません(笑)だからお互いに言葉の壁はありません。だけど文化や習慣については、なかなか慣れないものもあります。でも主人は、たとえ理解できないことにぶつかっても、不平不満を言わない方が良い、と私に教えてくれました。彼は私よりずっと長く日本に住んでいますから、文化の違いから来るストレスなどにどのように対処したら良いか、よく分かっているのです。でも時々、主人が怒っている時は私が彼をなだめることもあります。
もし主人が日本人だったら、彼は「君の国と日本は違うんだよ」と言って終わっていたでしょう。そんなことを言われたら、私は何だか押さえつけられているように感じるだけです。私たちはお互い外国人だから、その点は安心です。
*エロックさんのご主人にインタビューしています。準備中ですのでもう少しお待ちください。
外国人に優しい街 = 日本人にとっても住み良い街
私たちが川崎に住み始めたのは、自然のなりゆきです。私たちがここに越してきた当時、私は自分が今携わっているような団体があることを、私は全く知りませんでした。しかし本当に、川崎では条例のおかげで、私たち外国人が市政に提案書を提出することができるのです。
川崎市内には3万人の外国籍市民が住んでいます。つまり多くの外国人が川崎を住む場所として選んでいるということです。工場がたくさんあるから雇用も多い。でもそれだけが私たちがここに住んでいる理由ではありません。川崎は東京よりも自然が豊かで、それでいて東京都心や他の大都市へのアクセスも抜群です。しかも家賃も東京より安い。これらも外国人が川崎を選ぶ理由です。
それに加えて、川崎には市条例に守られた外国籍市民のための組織があります。だから川崎は日本で最も外国人にとって住み良い街だと言っても、決して過言ではないと思っています。
私たちのモットーは「外国人に優しい街は、日本人にとっても住み良い街」。これは逆に言えば、外国籍市民は日本人に対して有効ではない提案をするべきではない、ということです。私たちの都合を日本人に押し付けてはいけません。私たちは自分たちが住む街に貢献するという意識を持つべきです。
私たちの会議では、私たちは日々起こる諸問題について話し合い、それらの解決策を提案します。私たちにとって大切なことは、日本人社会に寄与することであり、私たち外国人の住環境のみを良くすることだけを考えるべきではないということです。そして市政には、外国人の間で日々起こる問題を解決すれば、それは日本人社会にとっても良いことなのだということを伝える必要があるのです。
変化が外国人に与える衝撃
外国籍市民の中には、日本生まれ・日本育ちの人たちもいます。彼らは生まれつき日本国籍を持っていません。だから一口に外国人の間で起こる問題と言っても、その内容は多岐にわたります。思うに川崎市の行政は、このことに徐々にお気づきになっています。
私たちはこれまでたくさんの問題に取り組んできました。しかし、また別の問題が浮上します。例えば最近は、経済危機による外国人労働者の解雇という新たな問題が起きています。
さらにまた別の問題があります。日本人男性と結婚した外国人女性がドメスティック・バイオレンスの被害者となるケースです。これは「DV」や「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が流行ると同時に持ち上がってきます。
問題というものは次々に起こります。だから全ての問題を完璧に解決させることは難しいです。しかし問題を洗い出し、議論して解決に向けて動くことはできます。私たちは常にそのような団体でありたいと思います。
外国人への日本語教育の拡充を
私が個人的に取り組みたいと思っているのは、外国人への日本語教育です。
日本では、小学校6年間と中学校3年間の計9年間が義務教育です。川崎市では、義務教育期間を修了するまでの間、外国人児童たちはとても充実した日本語教育を 受けることができます。
しかし高校の日本語教育は、一部を除き全体的に不十分な印象があります。外国人の生徒の中には大学進学を希望している人もいます。だから大学入試に対応するべく高レベルの日本語教育システムを擁する必要があります。
例えばインドネシア人児童が親御さんの日本人との結婚または再婚で日本に来たとします。彼は日本の中学校に入ります。しかし卒業後、彼は日本語能力不足ゆえに仕事に就いたり高校に行ったりすることができません。私たちは彼のような子を支援しなくてはなりません。それは彼のみならず社会を支援することにもつながります。もしそこで彼を助けなければ、彼は裏社会に行く可能性もあるのです。だから政府はこのような子には教育支援を施すべきです。私たちはこのような問題を議論し、もうすぐ提案書が提出される方向です。
多文化共生社会を築くために
私たちの任期は1期あたり2年ですが、2期務めることができます。だからもし可能なら、私はもう1期務めたいです。理想は、2期を終えた後にNPOと共に多文化教育に取り組むこと。私は学校を回って生徒さんたちに、世界には様々な文化的背景を持つ人たちがいることを伝えたいです。多文化共生の推進が、私のライフワークになるでしょうね。
このような教育はとても大事です。私たちは、仮に他の文化について学ばなかったとしても、自分たちとは違う文化を持つ人たちを差別してはならないと教わりました。しかし差別を無くすためには、私たち自身が多種多様な文化に触れる必要があります。だから私は子供たちに食べ物や習慣、宗教などの文化を少しずつ伝える必要があると考えています。
私の主人の国であるアメリカは、典型的な多文化国家です。それぞれの文化が主張するように存在しています。もし私がこれからアメリカでこのような活動をしようとしても、人々は「そんなのはもう時代遅れだよ」と言うかもしれません。
でも一方で日本は、文化の多様性はそれほど顕著ではありません。でもよく見れば、いろんな人たちが住んでいる。だからこそ私はこの日本で多文化共生の推進というライフワークを成し遂げたいと思っています。
エロックさんにとって、東京って何ですか?
もし東京に来なかったら、今の私は無かったでしょうね。
私は魚屋さんで最高のご家族に出会えました。それは私が東京に来たからです。そしてご家族のおかげで、私は日本語や日本文化に興味を持ちました。
そして他の外国人と一緒に生活するという体験をしたのも東京です。それまでは、私は自分が生まれた小さな街しか知りませんでした。
東京は私を世界に導いてくれた街です。
エロックさん関連リンク
川崎市外国人市民代表者会議:www.city.kawasaki.jp/shisei/category/60-7-2-0-0-0-0-0-0-0.html