冨田勲氏 国際交流基金賞 受賞記念講演会「TOMITAサウンド、世界を行く~シンセサイザーから初音ミクまで~」

取材&構成:徳橋功
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【国際交流基金】(会場2)冨田勲氏
撮影:Kenichi Aikawa

学術、芸術その他の文化活動を通じて、国際相互理解の増進や国際友好親善の促進に、長年にわたり特に顕著な貢献があり、引き続き活動が期待される個人又は団体を顕彰する「国際交流基金賞」。 43回目を迎えた今年は、王勇氏(中国)、冨田勲氏(日本)、シビウ国際演劇祭(ルーマニア)に授与されました。 My Eyes Tokyoでは、すでに王勇氏による講演「此の時、声無きは声有るに勝る―東洋的文化交流のスタイル―」、シビウ国際演劇祭総監督のコンスタンティン・キリアック氏による講演「文化外交」の模様をお伝えいたしました。
今回のレポートでは、“世界のTOMITA”と呼ばれる日本を代表する作曲家・冨田勲氏による講演会「TOMITAサウンド、世界を行く~シンセサイザーから初音ミクまで~」の模様をお伝えします。 講演会は2部構成で行われ、第1部では冨田氏のこれまでの足跡、第2部ではCGとオーケストラの共演「イーハトーブ交響曲」と、それをさらに進化させた現在進行中のプロジェクトについて紹介されました。

講演@TKPガーデンシティ竹橋(2015年11月17日)
写真:国際交流基金 提供

 

*冨田氏によるご講演を、内容を要約させていただきご紹介いたします。  

 

【第1部】

司会:前島秀国氏(音楽評論家)

 

第1部では冨田氏のこれまでの足跡をたどる映像が紹介されました。約10分ほどのドキュメンタリーは、冨田氏が幼少の頃に訪れた北京市内の天壇公園にある回音壁での原体験に始まりました。

【国際交流基金】(近影)冨田勲氏
冨田勲氏 *撮影:Kenichi Aikawa

高校時代に出会ったストラヴィンスキーの「春の祭典」に衝撃を受け作曲家を志し、慶応大学時代の作曲コンクールでの優勝をきっかけに作曲家としての活動を開始。その後のシンセサイザーとの出会い、アメリカのビルボード・クラシック部門での1位獲得、数度にわたるグラミー賞ノミネート 、そして船やヘリコプターなどを動員し“音で聴衆を包む”「TOMITA SOUND CLOUD」や、源氏物語を題材とした交響曲製作など、半世紀以上にわたる冨田氏の数々の偉業が紹介されました。

会場では、ホルストの組曲「惑星」で冨田氏が演出したサラウンド効果を実際に体験したり、1988年に岐阜県長良川河畔で開催された「TOMITA SOUND CLOUD」の映像を紹介しながら、冨田氏がこの壮大な演出の裏話を披露。「川に船を停泊させるのはダメだと言われたので、1分間に1メートルの微速で船を動かした」などのエピソードで会場を和ませました。

 

【第2部】

司会:前島秀国氏(音楽評論家)
ゲスト:伊藤博之氏(クリプトン・フューチャー・メディア 代表取締役)
*音声合成システム「VOCALOID」のボーカル音源ソフトおよびそのキャラクター「初音ミク」開発者

 

第2部からは「初音ミク」生みの親、クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役の伊藤博之氏を交え、初音ミクをソリストに起用し管弦楽や合唱とのコラボレーションを行った、宮沢賢治の文学作品が題材の「イーハトーブ交響曲」の誕生に至る道のりが語られました。
バーチャルな存在である初音ミクと、実際に演奏を行うオーケストラの共演は、2012年11月に東京オペラシティで始まり、2015年5月には海を渡って北京でも行われました。

この試みを実現させるにあたり、最大の関門は「初音ミクというバーチャルの歌い手をオーケストラの指揮に合わせること」でした。初音ミクのCGの動きにオーケストラが合わせるのではなく、CGをオーケストラの指揮に合わせて動かすためにどうすれば良いか、その悪戦苦闘の模様が映像を交えて伝えられました。 その後、伊藤氏が冨田氏と出会い、初音ミクをオーケストラと共演させるプロジェクトを企画した経緯へと話が移りました。

 

伊藤氏:
2012年3月7日、ある音楽スタジオに伺った時、そこに冨田先生がいらっしゃったのです。僕は一人のファンとして、その時は「ラッキー!」くらいにしか思わなかったのですが、「イーハトーブ交響曲」のお話をお聞きし、僕からも初音ミクのお話をさせていただきました。そして僕は切り出しました。

「先生、明日ちょうど初音ミクのコンサートがあるのです。いらっしゃいませんか?」

それが「ミクの日大感謝祭」だったのですが、先生が来てくださいまして、ずっと直立不動でご覧になっていました。僕はお座りいただくよう促したのですが・・・

冨田氏:
俺が座ったら、谷間に入っちゃったようなものだろう?(会場笑)

伊藤氏:
僕も立っていましたが(笑)

冨田氏:
あなたは若いからいいんだよ(会場笑)

伊藤氏:
本当に、偶然といえば偶然なのでしょうけど、必然というか、運命がめぐり合わせてくれたのかな、と思いました。

冨田氏:
初音ミクは有名な歌姫なので、出演していただけるのかどうか(会場笑)そしたら「やりますよ」って簡単におっしゃるので・・・

 

随所にユーモアたっぷりな“冨田節”を入れながら、CGとオーケストラのコラボレーションが生まれた瞬間について語られました。伊藤氏によれば、冨田氏は初音ミクとの出会いの前から、コンピューターやシンセサイザーにどのようにして歌を歌わせられるかに挑戦していたとのこと。そのような背景から、初音ミクのようなVOCALOID(ヤマハが開発した音声合成技術およびその応用製品の総称)に注目していたのだろう、ということでした。
“シンセサイザーに歌わせる”実験は、冨田氏が40年以上も前に「ミルキーウェイ」という曲で試みていました。その音源が会場で披露されました。

そのあと、2015年5月に行われた「イーハトーブ交響曲」北京公演の映像が流され、実際に初音ミクがオーケストラの指揮に合わせて歌い舞う姿が披露されました。オーケストラは現地の人々、コーラスは宮沢賢治の故郷である岩手県花巻市から招かれたそうです。
またその映像では、冨田氏の音楽活動の原点である北京・天壇公園の回音壁で、冨田氏が声を出す様子も映されていました。

伊藤氏は言いました。

 

「回音壁で鳥のさえずりが反響して聞こえたのが面白かったという冨田先生のエピソードがありますが、僕はここに先生の原点があるのではないかという気がしました。つまり、シンセサイザーはそういう楽器ですよね。シンセサイザーは音を様々に加工して作り上げることができる。世の中に存在しない音を、先生が幼少の頃に天壇公園で体験されたということが、先生に影響を与えた原点なのではないかと、この映像を見て思いました。」

 

そして最後に、司会の前島氏が「本日、一番大事なトピックをお伝えします」と前置きし、冨田氏が現在進めているプロジェクトを公開しました。

それはバレエ「コッペリア」。ドクター・コッペリウスというマッドサイエンティストが、コッペリアという人形を作ってそれに命を吹き込もうとし、それに村人が巻き込まれててんやわんやの騒動が起きる・・・というストーリーです。

このバレエ作品に冨田氏が関わるきっかけとなったのが、「日本の宇宙開発の父」と言われる糸川英夫博士でした。
糸川博士が設計に関わった戦闘機“隼”に、少年時代の冨田氏は憧れました。そして時を経て、冨田氏が作曲した創作バレエの舞台で博士と出会います。60歳頃に貝谷バレエ団に入団した博士は、冨田氏にこう囁きました。

 

冨田氏

「ホログラフィー(3次元像)とデュエットしたい」

それも、本気なんですよ!それで貝谷バレエ団に入りましたが、主宰の貝谷八百子さんは、博士が元科学者だからと言って優遇せず、中学生くらいの女の子たちの中に60過ぎのおっさんが(会場笑)入って本気になって足を上げる練習をして、やがて耳の高さまで足が上がるようになりました。そうまでして実現したい夢が「有名なバレリーナとデュエットしたい」というのではなく「ホログラフィーとバレエをしたい」というものでしたが、博士は本気だったのです。それを思い出しました。

 

そうして取り組み始めた「コッペリア」の舞台製作。糸川博士の夢を実現させる“ホログラフィー”として挙げられたのが「初音ミク」でした。舞台に初音ミクが現れ、実際のバレリーナと共演するという試みです。「イーハトーブ交響曲」でCGが指揮者に合わせて歌い舞う以上の技術が求められるゆえに、初演の目処はまだ立っていないものの「なるべく早く、この“技術と芸術の共演”を実現させたい」と伊藤氏は言いました。

前島氏が加えました。

 

「冨田先生のご活動は“物体に命を吹き込む”部分がかなり大きいわけです。シンセサイザーはただの“たんす”でしたが、そこからいろいろな音を出すこと、これも“命を吹き込むこと”ですし、『イーハトーブ交響曲』での初音ミクとの共演も“命を吹き込む”ことでした。
日本文化というものは、人形浄瑠璃や文楽など、物体に命を吹き込むことなのだと思います。命のことをギリシャ語で“アニマ”と言います。“アニメーション”の語源です。つまり日本人が伝統文化として行ってきたことが脈々と受け継がれて、アニメや冨田先生の音楽に続いているわけです。
『コッペリア』という舞台を作ることは、世界に向けて“日本人はこれまで何をやってきたのか”をプレゼンテーションすることだと思います。ぜひ日本人として、私たちはこれを実現させたいと強く考えています。そのために、皆様もSNSなどで『コッペリア』の計画について広め、応援していただければと思います。」

 

【国際交流基金】(会場1)冨田勲氏
撮影:Kenichi Aikawa

 

最後に、冨田氏が国際交流基金賞受賞に寄せたメッセージ(全文)を前島氏が代読し、会を締めくくりました。

≪リリー・マルレーンから想うこと≫
「リリー・マルレーン」(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に愛唱されたドイツの歌曲ですが、レコードの発売当初は60枚しか売れず、店員が「捨てるのももったいない」とドイツ軍の前線慰問用レコードの中に紛れ込ませました。

ドイツ軍放送局から流れたこの曲は、多くのドイツ兵が戦場で聞き、故郷を懐かしんで涙を流したそうです。それはまたドイツ兵だけでなく、敵国イギリスの部隊でも歌われだしたため、慌てたイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じました。しかし今のインターネットと同じで完全に封じ込むことはできず、敵も味方も同じ歌を愛唱してしまいました。それなのになぜお互いは戦うのでしょうか?

この曲はやがて海を越えて日本の1975年の12月 第26回NHK紅白歌合戦で梓みちよさんが歌いました。ベトナム戦争たけなわの頃でした。

音楽は翻訳者を必要とする文学とは違い、異言語の手続きを経ないで、言葉の違う国々の人たちにも直接相手の心を響かせます。すなわち世界を平和に導く共通言語が音楽にはあるのではないでしょうか。

今年(2015年)の5月20日に私は中国の北京世紀劇院で、中国政府が主催する芸術祭「相約北京芸術」にて、日本発の唯一のプロジェクトとして「イーハトーヴ交響曲」の公演を行いました。私は当初賢治の作品の随所に出て来る宗教観は難解で、「銀河 鉄道の夜」など、現代の中国の人々には理解されないのではないかと気になっていましたが、すでに中国では人気の初音ミクが歌姫となり、それを操作する技術者のみなさん、東北からわざわざ参加してくれた100人の児童も含めた混声合唱、指揮者、北京のオーケストラのみなさんが一丸となっての演奏終了後は、ホールは割れんばかりの拍手で「ああ理解されたのだ」と涙が出るほどうれしかったです。

これからは宇宙時代、何億年も前には海にしかいなかった生き物が、生存不可能と思われる陸を目指したように人類は今や宇宙を目指そうとしています。たいへんな困難を克服しなければなりません。しかしこれは生き物にとって受け継がれてきた悠久のロマンではないでしょうか。それには地球全体の国々の心は一つにならなくてはならないでしょう。

私はこの度、国際交流基金賞をいただくことになりました。日本人としてたいへん名誉なことと喜んでいます。これからも世界共通語である音楽を通して交流のお手伝いができればと頑張るつもりでいます。

どうか今後ともよろしくお願い致します。

作曲家 冨田勲

 

関連リンク

国際交流基金賞:https://www.jpf.go.jp/j/about/award/
国際交流基金:https://www.jpf.go.jp/  

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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