日出ずる国への伝言 Part1 坂根シルックさん(フィンランド)①

インタビュー&構成:徳橋功
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Sirkku Sakane
翻訳・通訳者/コンサルタント
(日本・フィンランドで教育を受ける)

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親や先生に言われたことと自分の考えが違っていたら、勇気を持って自分の考えに従ってみて下さい。

 

今回から始まった「日出ずる国への伝言」。閉塞感漂う今のニッポンを元気にするためのヒントが詰まった、ちょっと辛口だけど愛情のこもったアドバイス満載のコーナーです。

第1回目は、翻訳家や通訳者、コンサルタントとして働きながら、教育関係の講演を数多く行ってきた、坂根シルックさんです。坂根さんはフィンランド生まれ、でも日本語は日本人と同じように話せます。

それもそのはずで、シルックさんの日本在住歴は通算で33年にものぼります。宣教師の父と共に3歳で初来日し、最初の2年を東京、その後13歳まで大分市で過ごしたシルックさん。幼少の頃の第一言語は大分弁で、ご両親がフィンランド語で話しかけ、それに対して大分弁で返す日々だったそうです。

ご本人曰く「すごく楽しかった」大分での小学校生活に別れを告げ、フィンランドに帰ることになったシルックさんは、入学した中学校でイジメに遭います。それから自分が日本にいたことを隠すようになりました。

その封印を解くように、社会人となったことを機に再び日本に戻ってきました。しかし、子どもの時に感じた日本と、大人になって会社組織を通じて見た日本には、大きな隔たりがあったのです。

*インタビュー@荻窪(東京都杉並区)

S:坂根シルックさん T:徳橋功(My Eyes Tokyo主宰)

 

辛酸をなめた「カイシャ」社会。

S. 私は高校卒業後に1年間働いて、その後ビジネススクールに2年間行き、その後日本に来ました。子どもの頃の楽しい思い出が残っていたから、日本に”戻ってきたくて”たまらなかったのです。
再び日本に来たのは1985年です。その前の夏休みに一度日本に来ていて、フィンランド系の企業と日本の商社との合弁会社に、2年間の現地契約社員として採用されました。ただ、当時は女性の立場がものすごく悪かったです。

T. ちょうど「男女雇用機会均等法」が公布される直前ですね。

S. そうですね。フィンランドの会社が上下関係無し、下っ端でもアルバイトでも仕事をしていれば発言権が同じように与えられるという環境だった一方で、私のようにいきなり入社した一番若い外国人となると・・・。

T. フィンランド系じゃないんですか?

S. 社長が日本人でしたから。小さな会社でしたが「もう耐えられない!」という経験をいくつもしました。お茶汲みとか、夜に酔っぱらった取引先の接待をするために日本に来たんじゃない!と思いました。一方はオジさんで、私は当時20代前半でしたから、イヤな経験もたくさんしました。そんな時、元のダンナに出会ったんです。そのまま日本に残ることになったので、「○○になりたい!」などと深く考えずに、成り行きで今日まで来た感じです。

T. でも「日本に来たい!」という思いはあったんですね。

S. それだけしかありませんでした。そして日本が好きで今まで住んでいます。先ほどの会社には2年契約で、もう1年契約を伸ばしてもらって計3年いました。向こうで結婚式を挙げて、2ヶ月くらい休暇を取ろうと思っていたのに、それが叶いそうになかったから「じゃあ辞めます」という感じで契約修了と共に退社しました。
それで休暇から帰って来て、仕事が見つかって、という感じで今まで来ました。

T. 全部、契約社員ですか?

S. 最後の会社で9年間働いた時は、正社員でした。3年+3年+4年+9年ですね。

T. ということは、4社経験されたんですね。全部フィンランド系企業だったんですか?

S. はい。日本語に不自由しないので、フィンランド語を忘れることが怖かったのです。9年いた最後の会社は、日本語とフィンランド語と英語が話せる理想の環境でした。でも大きな病気をしてしまった事を機に辞めることにしました。

T. こういうことは考えませんでしたか?「フィンランド語を忘れると、親が悲しがる」とか。

S. 全然考えませんでした。

T. そういうふうに、日本人なら考えがちですね。

S. フィンランド語を忘れようが、一生フィンランドに帰らなかろうが、私の人生なので親も何も言いません。「フィンランドに帰らなかったら、親は悲しむだろうな」とは考えますけど、言葉について考えるとき、親のことが頭をよぎることは無いです。

 

専門分野、なし。

T池上彰さんのテレビ番組で、坂根さんを拝見しました。その時は教育がテーマだったので、シルックさんのご専門は教育なのかな、と思いました。

S. 私には、これといった専門分野がないんです。今までいろんな分野の会社で働いてきて、広く浅い知識は身に付きましたが・・・。
だから、教育に関する講演活動が始まったのは偶然だったんです。私が数年前に一度フィンランドに戻る前に、フィンランド大使館経由で「高校でフィンランドの教育について話してくれる人を探しているんですが、引き受けてくれませんか」というお話しがありました。教育の現場からは、私が学校を卒業した20数年前以来遠ざかっていたので、現状が全然分からない・・・というところから始まりました。
最初は私が受けたフィンランドの教育や、兄弟や友人を通して調べて分かった教育事情などについてしか話せませんでしたが、2005年~2007年の2年間のフィンランド生活を経て、現地校に通った子どもたちの経験なども含め、今ではフィンランドの家庭教育、親と子どもの関係や子育てなどについてもいろいろな所で講演をさせていただいています。

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迷ったら、自分の考えを貫け。

S. 一番最初に私が講演をさせていただいた学校は、校長先生を含め皆さんが気に入って下さって、フィンランドから帰国した後に「もう一回来て下さい」と言われました。進学校ではなかったからでしょうね。それから先生のご推薦などでどんどん広がっていきました。
時々、高校生にも講演することがあります。ある時講演の最後に担当の先生から、外国人の親として生徒たちに伝えたいメッセージはありますか?と聞かれ、「親や先生に言われたことと自分の考えが違っている場合は、勇気を持って自分の考えに従ってみて下さい」と言いました。

T. それは勇気ありますね(笑)

S. 先生方はびっくりされたかもしれませんが、生徒さんからのアンケートで、その私の一言が印象に残っているって書いてくれた人が何人かいました。一番伝えたいことだっただけに嬉しかったです。

T. そこに親御さんがいてほしかったですね。

S. 大変だったかもしれませんね(笑)

T. 簡単に言うと「親の言うことを聞くな」ですから。

S. 全く聞くな、ということではありませんが、最終的に決めるのは自分であるべきだと思うのです。例えば徳橋さんは徳橋さんの人生を歩むわけじゃないですか。最初から最後まで親がずっと徳橋さんの人生を見てくれるわけじゃない。私もそうであって、子どもが家を出るまではある程度親の敷いたレールや決めたルールに従わなくてはいけないとは思いますが、そこから先の人生は自分の人生だと思うのです。親と子は違う人間なんだし、親が良かれと思って言っていることが、子どもにとってはものすごい重荷かもしれない。子どものことを一番理解している親でも、子どもという「種」がどんな花を咲かせ、どんな果実をつけるのかは分からないのです。
だから「どういうふうに生きたいか」「どんな人間になりたいのか」を自分の頭で考え、勇気を持って自分の人生を切り開いてほしいと思うのです。

T. 日本には、こういう親はいますでしょうか?「私の言うことなんか聞かなくていい」という親。

S. 「私はこう思うけど、それがあなたにとって良いかどうかは自分で判断しなさい」と思う親は、いると思います。

 

フィンランド流・子どもとの接し方。

S. 子どもの部屋が2階にあって、鍵をかけることができて、自分のテレビもパソコンもあるような環境は、親子の関係上とても怖いと思います。トイレと食事以外は一歩もそこから出ないでも生活が成り立つような状況は一見独立心を促すようにも見受けられるかもしれませんが、親が子どもに目をかけることのできない、とても怖い環境だと思うのです。
もちろん、このような環境はフィンランドにもあります。でも、フィンランドでは親子でたくさんの時間を一緒に過ごすことができるので、親は子どもの考えていることや希望などを把握しやすいのです。
また、フィンランドではほとんどのお母さんが働いており、子育て以外にも自分の生き甲斐を見つけているのです。親が自分の生活に満足していれば、幸せな気持ちは子どもにも伝わります。そうすれば、イジメなども減っていくと思うのです。
逆に、もしお母さんが子どもたちに依存していて「子どもたちが出ていったらどうしよう」と不安を抱えていたら、子どもたちはその不安を敏感に感じ取って「私たちは家にいなくちゃいけないんだ」と思うはずです。子どもたちは自分自身が満足できる人生を歩めなくなる恐れがあるばかりでなく、親がいなくなった後は心が壊れてしまいますよね。
親は、子どもたちに目をかけてあげる必要はあります。離れて見ている、ということですね。ある程度成長したら手をかけてあげる必要はなくなります。自分でできることは出来るだけ自分でするように促したいですね。

T. でも、その一方で日本では・・・これは『ダーリンは外国人』にも書いてあったことですが、謙遜する意味もあってか、人に対しては、親は「いや〜ウチの子はバカで」とか「愚息で」とか言いますよね。

S. そうですね。

T. 「夜回り先生」こと水谷修さんは、親を対象にした講演に行かれた際は必ず聞きます。「お子さんを褒めた回数と叱った回数、どちらが多いですか?」。するとどこに行っても、叱った回数の方が多いです。そこで水谷さんは「じゃあ聞きますけど、皆さんの息子さんや娘さんは、そんなに悪い子どもたちなんですか?」と。
「欠点を長所と同じくらいまで伸ばそう」というのが日本の教育だと言われていますが、それを反映しているのかもしれません。

S. 初めて聞きました。

T. だから欠点に目を向けるんですね。

S. なるほど、それはあるかもしれないですね。学校の先生方は特にそうですね。

T. 僕自身も、親に褒められた記憶があまりないです。だから変な意味で自立というか「自分で自分を評価するしかない」と思うようになりました。日本では、良い所よりも悪い所に目を向ける方が多いと思います。

S. 国民性でしょうか。

T. 勉強もそうじゃないですか。1つの教科だけ5で、あとは全部2というよりも、オール3にしましょう、みたいな。

S. それはありますね。

T. フィンランドはどうですか?

S. フィンランドでは、例えば5教科全部ダメでも音楽がすごく成績が良かったら、それでいいんです。他の科目に関しては、進級できるギリギリのラインで良いのです。それ以上は求めません。

T. 先生も、ですか?

S. そうです。

 

Part2に続きます→ こちらから。

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー

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