長久保 聡美さん(イラン)
インタビュー&構成:徳橋功
ご意見・ご感想は itokuhashi@myeyestokyo.com までお願いします。
Satomi Nagakubo
イラン料理@埼玉県三郷市(’90年より日本在住)
主人と子どもがいるこの場所が一番大事。だから死ぬ場所は日本です。
皆さんは、イランという国にどのようなイメージをお持ちでしょうか。私たちがNiki’s Kitchenを世に広めるお手伝いをしたいと考えたのは、実は今回ご紹介する方がきっかけです。
長久保聡美(ながくぼ・さとみ)さん。生粋のイラン人です。日本的なお名前は、単純に日本での生活をしやすくするためにつけたのだそう。すごくおっとりとした口調でお話しすると思えば、楽しいときはとってもよく笑う、誰からも愛される女性です。
2010年11月、私たちは聡美さんのクラスに初めておじゃましました。そして出来上がったイランの家庭料理を口にした時、すごく優しい味がしたのです。中東のお料理というと辛いという印象があるかもしれませんが、全く辛くなく、むしろ日本人の口に合う、あっさりとした優しい味でした。それまでイランのことをニュースでしか見聞きしたことが無かった私は、いっぺんにイランに対する印象を変えました。
そして、Niki’s Kitchenの試みがすごいものに思えてきました。クラスでは人と触れ合い、人と一緒に料理を作り、そして人と一緒にご飯を食べますが、その間に相手の出身国に対するイメージが大きく変わったり、また新たな発見をしたりします。そんな機会を、Niki’s Kitchenはたくさんの人々に提供している。こんな料理教室が世界各地で生まれたら、世界は平和に一歩一歩近づいて行くのではないか・・・聡美さんのお料理をいただきながら、そんなことを考えました。
*インタビュー@新三郷
*Niki’s Kitchen ホームページ:こちらから
*英語版はこちらから!
真のイランの姿を、料理で伝えたい
東京には、イラン料理のレストランがいくつかありますが、100%本物のイラン料理を提供しているお店がどれくらいあるかは分かりません。あるお店に友達と行ったとき、友達にしょっちゅう聞かれたんです。「これ、どうやって食べるの?」って。でも、私にも分かりませんでした。何故ならそれらは本当のイラン料理ではなかったからです(笑)
イランのお料理については、日本人のほとんどの方がご存知ないと思います。イランのイメージも「怖い国」というのが大半だと思います。でも私に会ったり、私の作ったお料理を食べると、皆さん「イランへの印象が変わった」「イランに旅行に行きたい」とおっしゃってくれます。私が教える料理は、私の家に代々伝わるものです。そして出来上がったものを召し上がった生徒さんからは、ありがたいことにご好評いただいています。
かつて私は、イラン・イラク戦争に巻き込まれました。でもそれは、ずっとずっと昔の話です。私は料理を通じて、イランは皆さんがイメージするような国じゃないんだ、ということを皆さんに知っていただきたいのです。
*イランのおせち料理について知りたい方は、こちらをクリック!
わがままの産物
Niki’s Kitchenに参加する前、私はNiki’sと同じようなことをやっていました。「ワールド・クッキング」という、いろんな国から来た人からその国のお料理を習う教室を約3年間、月1回のペースで開いていたんです。ただNiki’sと違うのは、公民館など公共の場所を借り、先生にはそこまで来ていただいていたことです。生徒さんも、Niki’sの場合は遠いところからわざわざいらっしゃる方が多いですが、「ワールド・クッキング」の生徒さんは三郷周辺の方でした。
最初のきっかけは、すごくわがままなんです。私はいろんなお料理を食べたいんですけど、各国のレストランは東京にあるじゃないですか。私は東京に行くのがすっごくイヤ(笑)。だから皆さんに私のところまで来ていただいて、そこで作れば食べられるし、レシピももらえる。だから「ワールド・クッキング」を作ったんです。
だから、誰よりも私が一番楽しんでいたと思いますよ(笑)毎月新しいお料理が食べられるんですから。先生は約20人いましたから、毎月20種類のお料理が食べられる。ロシア、アルメニア、シンガポール、ネパール、イスラエル、チリ、ペルー、スペイン、コロンビア、オランダ、フィリピン、マレーシアなど・・・去年(2009年)の夏に一番最後のクラスをやった時は、私の母が日本に来た時に、イランの”おふくろの味”を教えました。その時は、私が通訳をしました。
でもNikiさん(Niki’s Kitchen代表の棚瀬尚子さん)もそうだったとお聞きしますが、先生を見つけるのが大変でした。私の場合は、友達が紹介してくれたおかげで、先生が集まってくれました。
Niki’sのスタイル、つまり外国人の自宅を教室にする方が、長続きするとは思います。でも管理をするのはとっても大変そう。とてもじゃないけど私はできないですね(笑)
Niki’s Kitchen講師歴3ヶ月(当時)とは思えない細やかな指導ぶりは、ご自身の料理教室の賜物。
2010年11月6日
料理を教えるのはNo Problem。だけど・・・
私がNiki’s Kitchenでクラスを始めたのは、今年(2010年)の8月。だからクラスを開いてから少ししか経っていないんです。飯島奈美さん(映画「かもめ食堂」などで活躍中のフードスタイリスト)のマネージャーさんが私のことを、Niki’s主宰の棚瀬さんに紹介して下さったのがきっかけです。
とっても興味がありました。私は先ほど申し上げた「ワールド・クッキング」の他にも自分でパン教室を開いているし、それ以外にもいろんなところでイランのお話をしたり、イランのお料理を教えてきました。だから料理を教えることは全然問題ありませんでした。
だけど、ひとつだけ引っかかりました。「自分の家を教室にすること」です。だって、家はプライベートのスペースじゃないですか。だから棚瀬さんから「クラスを開きませんか?」と言われた時は、かなり悩みました。それまでは友達や親戚など仲の良い人たちしか家に来ませんでしたからね。だから1ヶ月間迷い、主人や飯島さんのマネージャーさんなどに相談しました。
でも、最終的には代表のNikiさんを信用したんです。Nikiさんがちゃんとした方だから、良い加減な人はNiki’s Kitchenには来ないだろう。それにNikiさんは「もし嫌なら、いつでもクラスをやめて構わない」と言ってくれました。それで踏ん切りがつきました。
*聡美さんが全幅の信頼を寄せる、Niki’s Kitchen代表・Nikiさんこと棚瀬尚子さんのインタビューはこちらから。
夢に手が届く
日本に来る前は、日本では人はみんな着物を着て歩いているって思っていました。実際に来日したのが1990年11月ですから、全然いませんでしたけどね(笑)あとはやっぱり”日本人はお金持ち”というイメージ。私だって、全然お金持ちじゃないのに、日本に住んでいるってだけでお金持ちだと、イランの人たちに思われるんです(笑)
私の姉はカナダに長い間住んでいますし、他にも欧米にはイラン人がたくさん住んでいますから、それほど遠くには感じません。でも一方で日本は、私にとって手が届かないくらい遠い国でした。だから日本に来るのは、私の夢だったんです。
そんな”夢の国”日本には、観光で来ました。先に弟がこちらに来て、彼が半年間ここで生活した後に、私を呼んだんです。当時の私のビザは90日間有効の観光ビザでしたが、弟の縁で、今の私の主人に出会いました。主人が当時勤めていた会社に、弟が働いていたんです。ビザをもう3ヶ月延長して、その間に主人と結婚しました。もし結婚していなかったら、姉のいるカナダに行っていたかもしれませんね。実際に、イランに帰るかカナダに行くかを考えていたくらいです。
弟がその場にいた時は、彼が主人と私の間で通訳をしてくれました。でも弟がいない時は、お互いに片言の英語を話していました。私は学校で日本語を勉強した経験がなく、言葉は主人との生活の中で徐々に覚えていきました。
日本語のレシピも、聡美さんが用意します。
日本人より日本人らしく
日本に来てから目についたのは、電車内の人たち。みんな寝ていますよね。でも、今では私も寝ます(笑)最近だと、携帯電話をいじっている人たちかな。カナダに住んでいる私の姉が日本に遊びに来た時、言っていました。「みんな携帯で何してるの?」って(笑)。電車に乗っている人って、10人のうち5人は携帯をいじっているじゃないですか。カナダでは、携帯は連絡手段にしか使われていませんから、彼女は不思議に思ったんでしょうね。
そういう意味では、今でも日本は変わった国だと思います。でもそれは、決してマイナスの意味ではありません。主人の仕事の関係で海外によく行きますが、そこでたとえ広い家にメイドさん付きで住めたとしても、そこに住みたいとは思いません。
私にとっては、日本が一番住みやすい。主人の実家は青森ですが、主人と一緒に里帰りするのがすごく楽しみなんです。なぜなら日本のご年配の方々の生活は、イラン人の生活に似ているから。ちなみにお義父さんも義母さんも、私のことをすごく気に入ってくれています。「日本人より日本人らしい」とまで言ってくれます。
”聡美(さとみ)”という名前は義理の姉につけていただきました。そのため、人からはよく「日本に帰化されているんですか?」と聞かれますが、当然それも考えています。できれば日本人になって、このまま日本で生きていけたらと思います。
この日作った料理の数々「イランのホリデーメニュー」。 *それぞれの料理の詳細はこちらを参照。
撮影:畑中致遠さん
死ぬ場所は、日本
そして最近「主人と一緒の場所で眠りたい」と思うようになりました。それは、私の母が亡くなったのがきっかけです。亡くなったのは昨年(2009年)ですが、それまで母は元気でした。日本に呼び寄せるために、母のための部屋も用意したくらいです。なのに急にそうなってしまった。だから「自分もいつ死んでしまうか分からない」と思うようになった。それで、自分が生涯を閉じる場所についても考えるようになったんです。
私は決めました。「死ぬ場所は、日本だ」と。イランは私にとって「お母さんのお墓がある場所」。だからとっても大切な場所であることには変わりありません。
でも、帰ることはないでしょう。向こうの友達からは「いつ帰ってくるの?」と聞かれますが、帰ることは考えられない。今では主人と子どもがいるこの場所が、私にとって一番大事なんです。
ここまで私が日本のことを好きなのは、結局は主人のことが大好きだからでしょうね。主人がいるところが、私のいるべきところだと、心から思えるんです。
だから日本に住んでいる私は、今、とっても幸せです。
聡美さん自家製、ふわっふわのパネトーネ。食後に皆さんと一緒にいただき、余った分はおみやげに。
撮影:畑中致遠さん
聡美さんにとって、Niki’s Kitchenって何ですか?
私の大切なものを、皆さんと共有できる場所です。
イランの食べ物に限らず、いろいろなイランの文化を、日本人の皆さんに理解していただく。そして皆さんが抱いていたイランという国に対する(特にマイナスの)イメージを変えていく。Niki’s Kitchenは、それを可能にしてくれました。
Niki’sの生徒さんは、いろんなところから来てくれます。普段のお仕事も様々です。だから口コミの力がすごい。つまり、イランという国のプラスの部分が、生徒さんによって一気に広がっていくんです。
生徒さんは、皆さん本当に良い人ばかりで、お料理を教えるのが楽しいです。これからも、Niki’s Kitchenで教え続けていきたいと思います。