ケイティ・フィリップスさん(オーストラリア)
インタビュー&構成:徳橋功
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Katy Phillips
歌手
歌手として日本で生きていきたいです。
ある日私たちの友人が、原宿駅の近くで歌っている女性歌手のことを教えてくれました。「わずか数人しか見ていなかったにもかかわらず、彼女は2時間ノンストップで歌い続けたんです」。その歌手が今回のお相手、オーストラリア出身のケイティ・フィリップスさんです。
私たちはそのエピソードに心打たれ、ケイティさんに興味を持ちました。しかもその友人が、10人程度入れるスペースを持っているとのこと。そこで彼女との公開インタビューを急遽企画、ケイティさんにFacebookメッセンジャー経由でコンタクトを取りました。ケイティさんはすぐに反応、その日のうちに開催日が決まりました。しかもその日は、彼女がオーストラリアに帰国する直前でした。
心折れずに路上パフォーマンスを続けるほどに歌に傾倒した経緯、そして日本に心を寄せるまでを、公開インタビューにてお聞きしました。ここでお送りするのは、インタビューのダイジェスト。フルバージョンはこちらの映像をご覧ください。
*インタビュー@新宿
*共催:高橋正臣さん
撮影:Masayoshi Miyazakiさん
*クレジットの無い写真:ダニエル・スマジャさん撮影
*英語版はこちらから!
「Naruto」との出会い
私は現在オーストラリアに住んでいます。でも生まれは、実はイギリスなんです。オーストラリアに移ったのは2008年、私が12歳の頃です。だから私は生粋のイギリス人。今でもフィッシュ&チップスが恋しいです(笑)
私のお母さんが昔ステージに立ったり、歌ったりミュージカルをしたりしていました。それも私が歌手になったきっかけなんでしょうね。私は4、5歳の頃からステージで歌やダンス、パフォーマンスをしています。ソロだけでなくグループでのパフォーマンスや学校でのミュージカル、演劇制作などにも参加しました。お母さんと私はグループの一員として、よく老人ホームなどで歌っていました。
その後、日本文化に出会いました。10歳か11歳の頃です。本屋さんで偶然マンガ本を見つけたのが最初でした。
私がオーストラリアに引っ越して新しい学校に入る頃、あるアニメに出会ってすっかりハマりました。それが「Naruto」でした。オーストラリアでは日本の文化が人気で、私にもアニメ好きの友達ができました。その子たちがNaruto のことを教えてくれました。
Narutoを初めて見たとき、速攻でファンになりました。「忍者だ!マジックだ!パワーだ!すごーい!」って(笑)それは私がもともとおとぎ話が好きだからでしょうね。アニメだけでなく、主題歌の「Fighting Dreamers」も大好きでした。それがきっかけで他のJ-popもYouTubeで探すようになりました。
それで見つけたのが“ボカロ”(ボーカロイド)の一つである初音ミクでした。その他に浜崎あゆみも好きでしたね。その頃の私は、人前に立つことといえば学校でのミュージカルだけでした。それにオーストラリアでは、路上で歌ったり踊ったりするときは必ず許可をもらう必要がありました。しかも往々にしてその金額が高かったんです。だから私は自分の部屋や自宅でJ-popを歌っていました。
「何があっても私は歌手になる!」
今から約2年前、すごくストレスを感じていました。というのも私はこんなふうに言われていたからです。「音楽の道は、そんなに甘いものじゃないよ。だから歌手になれない可能性は高いと思った方がいい。それよりも先生とか、裏方の仕事に就いた方がいいと思うよ」と。つまり周りは私に歌手にならないよう勧めていたんです。私はその状況に耐えられませんでした。「じゃあ、どうすればいいの?」って。最終的に私は「自分の身に何が起ころうとも、絶対に私は歌手になるんだ!」と心に決めました。
大学に入学した頃、私は心理学を専攻しました。でもその後、日本学専攻に変えました。私は言葉が好きだし、日本学なら日本の文化を学べますから。そんな私の気持ちを、お母さんが分かってくれて、そして応援してくれるようになりました。
私は自分で曲を書き始め、ソロ活動を開始しました。出発地点は、大学構内にあるバーでした。そこでは“オープンマイク・ナイト”が行われていたので、私も参加して観客の前で歌わせてもらいました。それが、私のオリジナル曲の初披露の場となりました。
日本で歌いたい
実を言えば、私が作った音楽はオーストラリアの一般的な音楽とは違っていました。だから私はアジアで歌手になることを考えました。2012年にK-popに出会って、韓国の音楽も好きになったからです。それで私は、韓国のスター発掘番組のオーディションも受けました。でも私は言われたんです。「君の声には力が無い」と。私の声はどちらかと言えば軽い感じで、アデルやジェシー・Jみたいには歌えないと自分でも思いました。それに私が曲を作るとき、それらは欧米よりは自然と日本のポップス寄りになります。だから落胆しませんでした。それどころか「私の日本語能力を生かして曲を書けばいいんだ!」ということに気がついたんです。
そして私は思いつきました。「そうだ、日本で歌手になろう!」。私はすでに日本語に夢中だったし、もう一度日本に戻ってきたいと思っていたからです。私は高校卒業後に一度日本に来ました。そのときは東京に4日間だけ滞在しましたが、短い旅の終わりには「もう一度ここに来たい。そしてここで歌手として生きていきたい」という思いを抱いている自分がいました。「そうだ、ここが私がいたい場所、そして日本で歌うことこそが、私のやりたいことなんだ!」と。それだけ日本が私にとって心地が良かったんです。
2014年の暮れ、私は交換留学生として日本に戻ろうと決めました。そして2015年9月に再来日。学生として日本にいる間は、ここで歌やダンスに挑戦したいと思い、原宿の路上に立つようになりました。
友達が心の支え
歌手は私がずっと夢見てきた仕事でした。歌うことが、私にとって一番充足感を味わえる仕事だったんです。歌っているときが一番幸せですし、私だけでなく他の人たちにも私の歌でハッピーになってほしいと思っています。この思いは私にとってとても大事なものですし、歌があるから私もハッピーでいることができました。
私が心折れずに頑張れるのは、友達の支えがあるからです。時には私も、自分のやっていることが無駄なことなのではないかという不安に駆られることがあります。そういう時は悲しくなります。でもすごくラッキーなことに、私の友達がこう言って背中を押してくれるんです。「私たちはあなたを信じているよ!」「ケイティならきっとうまくいくよ!」「あなたを応援しているからね!」 – もう、嬉しくて涙が出そう。だからいつか、友達にお返しがしたいですし、そのためにも一生懸命活動をしていきたいと思います。
また戻ってくるよ!
私は去年(2015年)9月から交換留学生として日本にいます。その間、昨年10月に原宿駅の近くで2〜3回路上に立ちましたが、その後は大学の勉強などで忙しくなったので、しばらく活動をストップしていました。それからクリスマスに一度復帰し、今年2月初めに再び原宿で歌い始めました。それ以来、毎週末に路上パフォーマンスをしています(*当時。2016年4月30日現在はオーストラリア)。
「風で失せる」(Lost in the Wind)*日本語
Chrysalis
*撮影:高橋正臣さん
私が原宿を歌う場所として選んだのは、高校卒業後に日本に来た時によく行っていて、馴染みの場所だったからです。原宿ではたくさんの人がパフォーマンスをしていたから、私ももし歌うならここだと思いました。そうすれば、たくさんの人が私のパフォーマンスを見てくれるかもしれない、という思いもありました。
私はオーストラリアの大学を今年末に卒業します。その後は、願わくば日本で仕事を見つけて、再びここに帰ってきたい。そして時間を見つけて曲を書いたり歌ったりしたいと思っています。
ケイティさんにとって、日本って何ですか?
家のような場所ですね。
私はこれまでイギリスとオーストラリアに住み、そして今は日本にいます。イギリスの空気には、あまり合っていませんでした。オーストラリアは自分にはまあまあ合っていますが、でも今も時々、少しだけ疎外感を感じることがあります。
でも日本なら、私は私でいられるんです。
ケイティさん関連リンク
Facebookページ:facebook.com/KatyPhillipsmusic
こちらで曲が聴けます!→ soundcloud.com/k-t-phillips
ケイティさん公式YouTubeチャンネル:Click!
ピンバック: Tell me, Japanese people! 〜日本人に聞きたいこと〜 – My Eyes Tokyo