マイク・スタッファーさん(アメリカ)

インタビュー&構成:徳橋功
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Mike Staffa
即興コントグループ 代表

 

「パイレーツ」は家族です。舞台の外での信頼関係が、舞台での信頼関係を生み出すのです。

撮影: Michael Holmes Photo

 

今回皆様にご紹介するのは、何と現役の”海賊”!即興コントグループ”パイレーツ・オブ・東京湾”リーダーのマイク・スタッファーさんです。

公開英語インタビューの会場であるカフェに一歩足を踏み入れた途端、”パイレーツTシャツ”1枚のマイクさんが一言「汗かいちゃった!」。当時はまだ寒い1月半ばの東京、それでも彼の生まれ故郷がその季節に-40度を記録することに比べたら・・・ということで、本当に彼が汗をかくほど暑がっていたかは分かりませんが、でもその一言に会場のお客様は爆笑!しかもインタビューで、真面目なことを話している時でも笑わせてくれました。人を笑わせることが好きで、笑いで人をハッピーにするのが好き。そんな彼の優しさに、私たちは心を動かされました。

マイクさんの率いる”海賊”たちは、英語と日本語で、しかも台本無しの全くの即興で舞台を作ります。語学力だけでなく、知識や知恵、機転が求められる世界、それがバイリンガル即興コントです。

「日本のコメディアンの中で一番好きなのはダウンタウン」と言うマイクさんは、”海賊”たちとの絆をいかにして育んだかにも触れました。”海賊”をグループ名に冠しているものの、本物の海賊とは真逆で、彼らが一番大事にしているものは”信頼”と”愛”。そんな世界一心優しい海賊たちは、世界を”笑い”で征服しようと目論んでいるのです!

*インタビュー@Geek Cafe(東京・水道橋)2014年1月18日

英語版はこちらから!

 

 

お金が出ないなら外国へ行こう

僕個人は、即興コントにもう13年関わっています。日本以外ではオーストラリアで1年、イギリスで何年かやって、それからアメリカのシカゴやミネアポリス、セントポールでもやっていました。

僕がコメディに興味を持ったのは、多分高校の終わり頃だったと思います。そんなにイイ男でもないと思っていたから(笑)友達を作るんだったらとにかく面白いヤツでいようと思いました。お金を持っていないなら、せめてひょうきんでいようと、当時の僕は考えたと思います。僕はすごくコメディが好きだったし、人を笑わせたり、人が笑っているところを見たりするのは、どんな大金よりも自分にとって価値あることでした。笑うことでその人が人生を楽しいものにできたなら、それで僕は幸せを感じていました。しかもそれを他の言語で、他の国でできたら、本当に楽しいだろうな・・・と思っていました。

僕はかつて、たくさんの人に笑顔を届けたいと思い、アメリカで自分のハコを持つことを夢見たことがありました。政府が劇場を設立したい人に助成金を出してくれることになったのです。芸術や演劇、街を盛り上げてプロモートすることが目的で、僕も申し込みました。でも政府は速攻で「君には補助金は出せない!」と言いました。なぜならその当時の僕はまだ若かったからです。僕がそのお金をきちんと使うかどうか、信頼できなかったのでしょうね(笑)

これがきっかけで、僕は海外でコメディをやってみようと思いました。「もし1年か2年、外国で公演経験を積めば、今度こそ政府は”いいね!じゃあ助成金を出そう”と言うんじゃないか」という目論みがありました。それが8年前です。アメリカには戻っていませんが、でもこのプランをあきらめてはいません。

イギリスとオーストラリアでコメディの経験を積んだ後、次の目的地として考えたのは中国でした。イギリスやオーストラリアはアメリカと同じで、英語で舞台に立っていましたから、もっとチャレンジしたいと思ったのです。それで考えたのが、中国語で舞台に立つことでした。でもそれをやるのがちょっと恐かったので、代わりに日本に来たというわけです(笑)

僕にとっては、中国はモロに”アジア”でした。日本はいわゆる”マクド”(マクドナルド)もあるし、野球もあります。つまり”アジア+安心”があったわけです。アメリカにも野球はあるし、マクドナルドもある。日本にも欧米文化があったから、僕にとっては居心地は悪くないだろうと思った。だから日本に来ることにしたのです。

 

お笑いの本場・大阪へ

日本だったらどこに行くべきか、事前に調べました。そして吉本興業や松竹芸能が本社を置く大阪を選びました。それに、大阪弁はお笑いの言葉ですしね。

ここで僕は”パイレーツ・オブ・道頓堀”を結成しました。大阪市内の中心を流れる道頓堀は、市民の間では良く知られています。 大阪市内には、外国人たちが飲みに来るバーがあり、たくさんのイベントのチラシが置いてありました。僕はそういうところに出かけては、飲んでいる人たちを見ていました。彼らはバーに入り、チラシを見るものの、それを手に取ることはありませんでした。だから僕は、自分の劇団の名前を、彼らの目に留まるものにしようと思いました。例えば”Death by Squirrels”(リスで死ぬ)とか・・・「これ、面白いじゃん!」って思ったのですが、カタカナで”デス・バイ・スカーレルズ”と書いても日本人には全く通じない(汗)他にも”Clockwork Banana”とかも考えましたが、でもそれが”Clockwork Orange”、つまり映画”時計じかけのオレンジ”のパロディであることが、日本の人にはなかなか伝わりませんでした。

そんなわけで、もっと日本的な名前にしようと思いました。映画”パイレーツ・オブ・カリビアン”は日本でも有名で、誰もが知っていました。だからまず”パイレーツ”という言葉を大阪、中でも道頓堀に当てはめてみようと思いました。日本人が”パイレーツ・オブ〜”という名前を目にしたら「お、何だか”パイレーツ・オブ・カリビアン”みたい!気になるからこのチラシをもらっておこう」と思うんじゃないか。しかも”道頓堀”という漢字を彼らが見たら「うわ、超地元じゃん!どんな劇団なんだろう〜調べてみよ!」と思うんじゃないか – それが僕の戦略でした。


パイレーツ・オブ・道頓堀の舞台(2009年11月)

 

大阪の観客 vs 東京の観客

大阪の人は、東京の人に比べて「笑ってやるぞ!」みたく前のめりになっていると(笑)僕は感じました。東京の場合だと「ここは大声で笑っても大丈夫なんですよ」とお客さんに言って理解してもらう必要があります。東京の人たちは、チラシを見て、お金を払って会場までお越しいただき、お笑いのショーを見て下さっているのに「大声で笑ってもOKですよ!」と言わなくちゃいけないんですよね(笑)

それに大阪と東京では、外国人にも違いがあります。大阪にいる外国人の大半は、英会話の先生です。大阪にはソニーみたいな大企業は無いし、外国人銀行マンとか外国人弁護士も、いるかもしれませんが、数はとても少ないですよね。大阪で外国人を見かけたら、その8割は英会話の先生と言ってもいいでしょう。だから彼らの思いにパッと共感できるし、笑わせるのもそれほど難しくはありません。

一方で東京には、一口に外国人と言ってもいろんな人たちがいます。例えば弁護士なら英会話の先生とは違うところで笑うでしょう。ユーモアのレベルが様々なのです。一方で大阪には、大阪人と英語の先生しかいません(笑)

大阪で劇団を旗揚げしてから5年後、東京に移ってもうひとつの”パイレーツ・オブ〜”を立ち上げようと思いました。それが”パイレーツ・オブ・東京湾”です。

 

外国人のお客さん vs 日本人のお客さん

大阪での僕らの一番最初の公演には、80人以上のお客さんが来てくれました。恐れていたのは、5人みたいな極めて少ないお客さんの前でやることだったので、グループのメンバーには、お客さんが楽しめるくらいの程よい人数を集めるよう、少しだけプレッシャーをかけました(笑)もちろん集客できれば僕らの収入は増えますが、それだけではありません。

僕らの舞台がお客さんから投げかけられる”お題”によって進んでいくことを考えると、日本なら観客がたった5人だと、一人のお客さんにかかるプレッシャーが大きくなります。これがアメリカだと「よっしゃー!5人しか客がいないなら、俺にもショーをコントロールできるチャンスがあるぞ!全てのお題は俺のアイデアだぜ!」みたいになるんですけどね(笑)日本だと「あなたの好きな食べ物を言って下さい!」と5人に言ったところで、彼らにとってはそれがすごくプレッシャーになってしまい、余計に引っ込み思案になって、お題をステージに向かって言うのを躊躇してしまいます。

でも、もしお客さんが80人いれば、誰もが楽しめます。僕らもたくさんのお題をいただけるし、たくさんの笑いが生まれます。お客さんが多いほど楽しくなるし、お客さんも楽しい思い出を残して家路につくことができます。だから僕らにはたくさんのお客さんが必要なのです。

英語圏の人にお題をお願いする時、僕らは「皆さん、何かお題を下さーい!」とだけ言えば、お客さんは応えてくれます。でもお客さんが少なくて、しかもそこに日本人しかいない場合は、ちょっとだけ変える必要があります。日本人のお客さんに呼びかけてお題をいただく時は「あ、そこの素敵な青いシャツを来た方、何かお題をいただけますか?」みたく、何かひとつ褒め言葉を入れる必要があります。アメリカなら、僕はそんなことはしませんよ。「こんにちは、素敵な殿方ですね・・・」(爆笑)

多分僕らが「もしお題をいただけたら、僕らはそれを使って何かをします」と言うことに対して、日本人のお客さんはプレッシャーを感じていると思うのです。たとえその場面や状況がそれほど面白くなかったとしても、それはお客さんに問題があるわけでは決してない。でもそれに対してさえも、日本人のお客さんは責任を感じかねません。「ああ、何故あんなお題を出してしまったんだろう?大して面白くないのに!もう何も言いたくない!もうお題出すなんてこりごりだよ」みたいに・・・だから僕らは、日本人のお客さんに対しては、リラックスしていただく必要があります。「お客さんがお召しになっているその紫のシャツ、素敵ですね♪ ところで何かお題はありますでしょうか?」みたいに(笑)

同じ会場に外国人もいれば日本人もいるし、またその方々のバックグラウンドは様々です。また同じように僕らパイレーツのメンバーもバックグラウンドは様々です。でもその人たちに共通するたったひとつのこと、それは”東京”です。あるショーが全て英語で、日本人のお客さんが全然理解できなくても「お、このシーンの舞台は東京ドームだ。それなら少しは分かるかもしれない」と思える。そのためにも「僕らは東京という同じ場所にいるんだ」と自分たちに言い聞かせているのです。レストランのシーンなら、それを僕らは吉野家に置き換えます。僕らもお客さんも、全て日本にいる。それが会場にいる人たち全員の共通点だし、それがあるからバックグラウンドが様々なお客さんと最短でつながることができるのです。


撮影:ロジャー・ソノさん(パイレーツ・オブ・東京湾)

 

バイリンガルコント集団へ

かつてNOVAという、大阪に本社を置く外国語スクールがありました(*現在は別会社が運営)。NOVAが倒産した2008年の終わり頃、約600人の先生たちが母国に帰りました。困りましたね、なぜなら彼らが僕らのメインのお客さんだったからです。だから僕らは、活路を見いだすためにバイリンガル集団に生まれ変わりました。2009年のことでした。

パイレーツ・オブ・道頓堀を作った当初は、英語だけの公演でした。なぜなら日本に来て間もないメンバーもおり、そんな中でファンを獲得していくためには、英語で公演するのが一番手っ取り早かったからです。しかしNOVAの倒産に、僕らは背中を押されました。「バイリンガル集団にならなければ!」と・・・すごく当たり前の話ですが、日本には日本人がたくさんいます。だから英語に加えて日本語でも公演をするバイリンガルグループになれば、きっと大きなチャンスを手に出来るだろうと思いました。

そんなわけで、今僕らは3つのショーをやっています。英語ショーを六本木で時々、日本語ショーを新宿御苑で2ヶ月に1回、そして英語と日本語のショーを恵比寿で毎月です。これらはそれぞれ違います。英語だけのショーは、ちょっと汚い言葉が飛び交います。日本語ショーはまあまあキレイかな。バイリンガルショーは、これらの中間です。

パイレーツのメンバーには、日本人もいます。だから日本人が求めるコメディースタイルを素早く察知し、練習し、さらには日本人メンバーが外国人メンバーに、日本語コメディーで必要なことを教えてくれます。僕らはもはや、日本人向けに公演するアメリカ人集団ではありません。

僕には日本人の彼女がいますが、もし僕が彼女と落語を見に行ったら、僕が落語を完全に理解することができない一方、彼女は笑っているでしょう。もし僕が英語のコメディーショーや映画を彼女と見に行ったら、僕は楽しいですが、彼女は全てを理解することができないかもしれません。しかしもし皆さんが英語または日本語を勉強中なら、僕らのバイリンガルショーに来て、英語や日本語のジョークがどれくらい分かるかチャレンジできます。会場にいらっしゃる全てのお客さんに笑いを届けることができること、これが僕らの成長を促してくれました。もし誰かが「僕は英語にあんまり自信が無いんだよね・・・」と言っても「いいから来てみなよ。日本語でもやっているからさ!」と言える。だから予想以上に早く僕らは成長できたのだと思います。

 

スタンドアップコメディと即興コント、どっちが難しい?

スタンドアップコメディというのは、言わば”一人漫才”です。シナリオに書かれたジョークを覚えて臨むので、シカゴでもニューヨークでも同じショーを開くことになります。でもそれが簡単なことだとは、僕には言えません。なぜなら僕は、スタンドアップは恐くてできないからです(笑)僕の頭の中には12分間のスタンドアップのストーリーがありますが、実際にそれを披露したことは一度もありません。

もしシナリオに沿ってジョークを覚え、それを実際に舞台で披露できれば、面白くなるのは間違いない。何故ならシナリオを見直して面白くないジョークを外すなど、事前に準備する時間があるからです。「もうこれだけ練習したのだから、面白くなるのは間違いない」と確信できます。

でも僕にとっては、即興コントの方がプレッシャーは少ないのです。ステージに上って僕が「やあ、父さん!」と、メンバーのマサ(川畑誠仁さん)やロジャー(ロジャー・ソノさん)に言えば、その瞬間彼らは僕のお父さんになります。誰が何を言おうと、それは100%事実です。あるいは僕が「やあ、姉さん、元気?」と彼らに言えば、彼らは僕のお姉さんになります。そのような柔軟さが、即興コントにはあります。

僕がまだ若い頃、きちんとした台本が用意されているような”プロの俳優としての活動”を少しだけしていたことがあります。例えば「僕と結婚してくれるかい?」というセリフが僕に用意されていて、相手の俳優さんは「ええ、いいわ!」と言うことになっているとしましょう。もし僕が「結婚してくれるかい?」という言葉を忘れてしまったら、相手は自分に用意されたセリフが言えなくなり、そこで劇は終わってしまいます。これが僕にとってはすごいプレッシャーなんですよ!でも一方で即興なら決められたセリフは無いし、僕はどんなことでも言えます。僕が「結婚してくれるかい?」と言えば、皆さんは「ええ・・・」

ロジャーさん:「結婚しよう、マイク!」(会場爆笑)

マイクさん:(笑)僕は俳優時代にセリフを忘れたことはありませんが、僕は常に舞台幕の内側にいて、舞台がいつも隣にあって、観客が幕の向こう側にいて、いつも台本を握りしめて、開演ギリギリまでそれを読み込んで、舞台に上がっていました。不安だったというわけではありませんでしたが、何度も「結婚してくれる?」というセリフをつぶやいて、気持ちを落ち着かせていました。舞台の上で忘れてしまうのが恐かったのです。だから即興の方が自分にとってより安全だと思いました。

即興だと、舞台は会場のお客さんによって変わってきます。お客さんは、彼らが私たちにしてほしいことを言ってきます。それが、即興の素晴らしいところです。皆さんの投げかけるお題に耳を傾け、皆さんのために舞台を作る。「これをしよう」「あんなことを話そう」などと事前に計画して、その計画に忠実になるのは、僕らのスタイルではありません。

 

海賊たちに立ちはだかる壁

即興コントは、日本ではまだまだ知られていません。もし皆さんが東京で100人に「即興コントって知ってる?」と聞いても、恐らく全員が「聞いたことない」と答えるでしょう。だから僕は、これを日本にもっと根付かせたいと思っています。

アメリカでは、即興で何かを行うスキルが重要視されています。多くの企業が僕らのようなグループを招き、社員向けのワークショップを開いています。企業には規則があり、オフィスでは礼儀正しく振る舞うことが求められます。もし皆さんがあるプロジェクトへの参加を命じられたら「すみません、僕はやりたくありません」とは上司には言えませんよね。命令に従い、しかも「分かりました。来週水曜日までにやります」と言わなくてはならない。

これって、即興コントと同じなんです。同僚を信頼し、プロジェクトへの参加命令には「了解しました」と返事をし、思いついたアイデアを素早く業務に反映させ、そして変化する状況に適応していく。僕らの舞台では、事態はどんどん変化しますから、企業で求められるようなスキルが必要になってきます。職場では突然の変更が起きたり、顧客を失ったりするでしょうし、それらの事態に対応しなくてはいけません。だからアメリカでは、企業で即興コントのワークショップを開くのです。3M、ベストバイ、アップルといった有名企業が即興演劇グループを招き、素早く考えることや問題解決、同僚を信頼すること、コミュニケーションスキルなどをテーマにしたワークショップを開きます。

だから僕は、日本でもそれをやりたいと思いました。でも実際はとても難しかったですね。僕らが日本の会社さんにコンタクトを取ったら、だいたいはこう聞いてきます。「以前にどこかの企業さんで、そのワークショップを開きましたか?」それに対して僕が「いえ、まだですが・・・御社はいかがでしょうか?」と言ったところで、彼らはOKしません。もしこれがアメリカで、僕が新しくてまだ無名の劇団なら「他の有名劇団よりも安い料金でやりますよ!」って言って売り込みます。企業側も「それはいい。ぜひやってください」と言うと思います。

そんなわけで僕らが最初にしたのは、アメリカ大使館の門をたたくことでした。大使館の日本人スタッフ向けにワークショップを行ったのです。さらにはアメリカ文化を学ぶ学生たちにワークショップを行い、また関東近郊にある米軍基地でも即興ショーを行いました。Improv(即興)というものを知っているイギリス人やアメリカ人のもとでワークショップを行いながら経験を積み、それから日本企業に行く – これが僕の戦略でした。

これまでに僕らは香港の日本領事館、日本国内の米大使館や米軍基地でワークショップを行ってきました。それから僕らの活動がNHKや読売新聞に取り上げられました。「これで、日本企業に僕らの存在を伝えられる」- だから僕らはこれから、どんどん日本企業さんにコンタクトを取らせていただきたいと思っています。

 

笑いは国境を越える

ここで、僕らが近い将来に据えている目標についてお話したいと思います。

僕らは今年(2014年)2月にシンガポールで公演、3月には香港で3公演行ってきました(*注:このインタビューそのものは今年1月に行いましたが、英語での記事をアップしたのは3月末のため、その間に行われた公演についても触れています)。そして6月にはニューヨークに行きます。願わくば今年の暮れには、以前に公演を行ったフィリピンのマニラでまたやれたらと思います。

ニューヨークは、僕らにとってめちゃくちゃ高い目標です。”デル・クローズ・マラソン”という、言わば即興コント界のスーパーボウルのようなフェスが毎年6月末にニューヨークで行われるのですが、そこに僕らは出たいと思っています。

昨年(2013年)僕らはフォリピンのマニラに行きましたが、今年の暮れか来年にはまた行こうと考えています。マニラはすごかったですよ。どの公演も観客が300〜400人いて、とっても騒がしくて元気で声がデカイ(笑)だからお客さんを半分に分けて、左右のグループからかわりばんこにお題をいただきました。そうしないとお題が聞こえないんです(笑)最初は圧倒されましたが、そのマニラでの公演が僕らのスキルを上げてくれました。なぜなら彼らは笑いを求めていたからです。公演が終わった後、僕はサイン攻めに遭ったんですよ!それまで一度もそんなことはなかったのに(笑)

東京、大阪、マニラ、どこで公演していても僕らのショーで必要なのは”日々のリアルな生活の姿”です。確かに僕らはコメディをしていますが、だからと言って架空のこととか突飛な出来事とか変わった物は、僕らには必要ありません。お客さんには僕らを見て「ああいう友達いるよな〜」と思ってほしいし「あの人、俺のオヤジにそっくりだよ。すっげえ厳しいところとか」みたいに思ってほしい。そうすれば、お客さんは僕らに親近感が湧き、より深く楽しめると思いますね。


パイレーツ・オブ・東京湾 in マニラ!(2013年6月)

 

相手を信じよ

きっと多くの人が「即興って難しいんじゃない?」と思っているでしょう。でも僕はそうは思いません。

即興に必要なのは”信頼できる相手”です。僕はマサを信頼しているし、ロジャーを信頼しています。パイレーツのグループの全員を、僕は家族のように信頼しています。サンクスギビングのディナーも僕らは一緒です。なぜなら僕は彼らとより密接につながり、信頼関係を築きたいからです。もし僕が舞台で「やあ、母さん!」と言ったら、当然ロジャーは「どうしたの?」と、あたかも本当のお母さんのように言ってくれるはず。絶対に「私はあなたのお母さんなんかじゃないわよ」とか「俺は警察だ!」なんて言わないでしょう(笑)もしそんなことになったら、僕が言ったセリフは一体なんだったの?ということになります。そのせいで舞台が台無しになるし「彼の息子」という僕のキャラクターを誰も信じなくなるでしょう。

僕にとっては、お互いの信頼さえあれば、即興は簡単なんです。僕が何を言ってもロジャーは受け止めてくれるし、ロジャーが何を言っても僕は受け止めます。即興コントには基本的なルールがいくつかありますが、一番大事なのは「もしあなたが相手に何かをするようお願いしたら、相手から返ってくる答えは常に”YES”である」というものです。僕らは頼まれたことに対しては全てYESと言います。

そしてその上で、肉付けをしていきます。例えば僕が「やあ、ロジャー!一緒に釣りでもどう?」と言って、彼がもし単に「いいね・・・」とだけしか言わなかったら、つまらないですよね。多分ロジャーなら「いいね、僕も新しい釣り竿を持っているんだ。この前買ったんだよ。これで釣ってみようか?」と、さらにストーリーを作ってくれる。僕らはみんなに「いいね」とか「そうだね」の後に「それなら・・・」と加えるように伝えています。加えるものは何でも良いのです。

そしてもうひとつ伝えていること -「もし舞台で何もセリフが思い浮かばなかったら、何かを掃除しているところを想像しろ。掃除じゃなくても、とにかく何かをするんだ」。そうすれば、そこへ誰かが入ってきて「おはよう、お母さん!今日の朝ご飯は何?」と言う。その瞬間、あなたはお母さんになります(笑)たった10秒前には、自分が誰なのかも、何をしていいかも分からなかったのに、です。 とにかく何かをすればいい。何かを掃除している動作をすればいい。そこへ僕らは入っていき、ストーリーを作っていく。そこにあるのはお互いの”信頼”です。だから僕らは舞台を下りても友達であり、一緒に行動する。全ては、舞台の上での信頼関係を築くためなのです。

 

故郷を遠く離れた者同士が支え合う場所

僕らは自称”コメディの弁当箱”。僕らのグループにはいろんな人がいるし、そのキャラも様々です。

パイレーツの新メンバーのオーディションをする際、僕らが見るのは応募者のルックスやスキルだけではありません。舞台の上でも舞台の外でも、僕らのグループに適応できるかどうか。それも僕らは見ています。マニラでバスに3時間一緒に揺られてもその状況を楽しめるか、決して狂い出したりしないかどうかですね(笑)それに僕だけがメンバーを選ぶ権限を持っているわけではなく、メンバー全員で決めます。そしてもし少しでも違和感を感じたら、たとえその人にすごくスキルがあったとしても、本当にその人をメンバーに迎え入れるべきかを考えます。僕がアメリカで経験したキツいオーディション、さらに僕が他のグループに参加する時に経験したオーディションで学んだのは「この人と一緒にツルむことができるか?」が決め手である、ということでした。「この人と一緒に晩ご飯を食べに行って楽しいか?」それが大事であって、スキルは二の次なのです。

大阪でパイレーツを旗揚げした時、日本に僕の家族はいませんでした。「もしここで僕が足を骨折したら、誰が助けてくれるんだろう?」「もし僕がお金をなくしたり、お金で何か問題が起きたら、誰が助けてくれるんだろう?」そう思いました。だから僕にとっては、パイレーツはまさに”家族”なのです。

メンバーの誰かが職を失ったら、彼は生活できません。そこでパイレーツが彼にお金の援助を、とりあえずその月だけします。他にも実際に、日本語が話せないメンバーが背中を痛めたことがありました。救急車に来てほしいと思った彼は、僕に電話をしてきました。「マイク、俺は今、床で横になっている。動けないんだ。だから救急車を呼んでくれ!」。それで僕は救急車を、彼の代わりに呼びました。そういう舞台以外でのリアルな場での信頼が、舞台の上での信頼を生むのです。そしてそのような密接な関係を築くことができる人に出会うオーディションが、僕らが”家族”で居続けることを保証してくれているのです。

 

マイクさんにとって、東京って何ですか?

僕にとって東京は”チャンス”です。

東京には、実際には”東京人”と呼べる人は少ないですよね。いろんな人が日本各地から、より良い職を得るために東京に集まっています。僕らパイレーツも同じです。大阪以外に東京にも本拠を置いたのは、より大きな会場やイベントで公演するチャンスを手にするためです。

僕は日本で最初に住んだ大阪が大好きです。大阪には古い友達がいるし、日本に住み始めた頃の思い出は、全て大阪での日々から生まれたものでした。だから今も大阪の方が好きなんです。でももし僕が最初に東京に住み、後から大阪に移っていたとしたら、多分大阪よりも東京の方が好きになっていたでしょうね。もちろん東京は好きですよ。

東京は、日本の中ではグローバルな場所だと思います。全編英語のショーなんて、岐阜や名古屋、札幌では出来なかったでしょう。でも東京にはそれができるチャンスがあります。

だから僕にとっては”東京=チャンス”です。そして今では東京は僕にとっての”故郷”なのです。

 


マイクさんインタビュー映像(制作:ACTV Japan)

 

マイクさん関連リンク

パイレーツ・オブ・東京湾ウェブサイト:www.piratesoftokyobay.com
パイレーツ・オブ・東京湾 Facebookページ:www.facebook.com/TokyoImprov
パイレーツ・オブ・東京湾 YouTubeチャンネル:www.youtube.com/mtstaffa
パイレーツ・オブ・東京湾 Twitterアカウント:www.twitter.com/piratestokyo

 

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