エマニュエル・パストリッチさん(アメリカ)

インタビュー&構成:徳橋功
ご意見・ご感想は info@myeyestokyo.com までお願いします。

 

Emanuel Pastreich
アジアインスティチュート理事長

 

人々の間で起きる衝突や矛盾は永遠に無くならないかもしれない。でも理性を持つように努力し、人類が直面している課題の解決に取り組んでいきたいですね。

 

 

今回私たちがご紹介するのは、まさに”知の巨人”。日本、中国、韓国の言語や文学、文化に精通し、アメリカと東アジアの共同平和構築に向け研究や提言を続けているエマニュエル・パストリッチさんです。日本人以上に日本の古典や文化に造詣が深く、他の東アジア諸国の文化についても広く深い知識を誇り、アメリカや韓国の大学で教鞭を執ってきたご経験を持つ知恵の泉。そんなパストリッチさんの背景に興味を持ち、インタビューを申し込みましたが「果たして我々がお話を理解できるのか?」という懸念があったのも事実です。

その後東京都心でパストリッチさんと再会し、恐る恐るインタビューを開始。しかし東アジアの平和を心から願う彼の活動のルーツについて聞いた瞬間、私たちの緊張は一気に解けていきました。

*インタビュー@永田町(千代田区)

 

我が人生はアジアと共に

私は日々、東アジアの平和のために頑張っています。私が中心となって2007年に韓国で設立した”アジアインスティチュート”という研究機関の理事長として、またアメリカのGlobal Peace Foundation(GPF)本部の研究員として、アメリカ・日本・韓国が仲良く、平和のために協力し合い、東アジアでの平和を構築するための研究や議論、提言をしています。もちろんこれら3ヵ国以外にも中国やモンゴル、東南アジア諸国にたびたび訪問し、現地の人たちと交流しています。

さらに日本の文化や宗教の在り方を平和構築に活かす道について『父・金正日と私 金正男独占告白』や『朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』などの著書があるジャーナリスト・五味洋治さんと朝鮮半島問題についてYouTubeで発信したりしています。

最初に入ったアメリカの大学で中国文学を専攻し、その後台湾大学や日本の東京大学大学院に留学、アメリカに帰り東アジアの言語や文化を研究。韓国でも研究活動をした後、一昨年(2022年)約30年ぶりに日本に戻り、今は東京で暮らしています。思えばこれまでの私の人生は、アジアと共にあったような気がします。

 

僕の好きな先生

私はアメリカの南部テネシー州で生まれ、中西部ミズーリ州で少年時代を過ごしました。地元セントルイスの交響楽団の職員だった父が、その後サンフランシスコの交響楽団に移籍したため、一家で西海岸へと引っ越しました。

現地の高校に入学して、驚きました。全校生徒の約7割がアジア系アメリカ人だったのです。私が少数民族になったようなものですね(笑)高校生活を通じて彼らと親交を深めました。

時代は70年代から80年代へ。当時父はホンダ車に乗っており、家には日本製の家電があふれていました。”アジアの時代”の到来を予感した私は「将来はきっとアメリカにアジアの専門家が必要となるだろう」と考えました。そこでアジアの政治経済について学ぶことを思い立ちましたが、入学したイェール大学の、台湾出身の中国文学の先生がとても優しく、教室だけでなく自身の研究室でも私に漢字を教えてくれたことから、私は中国古典文学を専攻することにしました(笑)

 

台湾の”歴史”が導いた日本

1985年、大学3年の時に交換留学で台湾大学へ。現地には日本の文化が色濃く残っていました。人々の家には畳の部屋があったし、日本語を話せる人もいました。台湾時代の友達の一人は、お母さんが日本人でした。これらの経験から日本文化に興味を持ち、大学4年の時にイェール大学で日本語の学習を開始。その後在学中に日本へと渡り、日本語の研究者や日本の専門家を育成する”アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター”で1年間集中的に日本語教育を受けました。

課程修了後に日本の大学に進むことを考え、文部省(現文部科学省)に奨学金を申請。研究センターの先生に、東京大学で比較文学を研究していた教授をご紹介いただきました。教授のご推薦により奨学金をいただき、私は1988年に東京大学に留学。日本文化と日本文学を学びました。「アメリカ人として、中国語と日本語を高いレベルで読み書き会話ができる人材になるのだ」という意欲に燃え、卒業後は東京大学大学院へ。中国の漢詩と、俳句の影響を受けた日本の漢詩との比較研究を進めるうち、漢詩と絵画の融合である”文人画”の画家で、現在の通信教育のような形で日本全国の弟子を育成していた田能村竹田(たのむらちくでん)に興味を持ち、その人を中心に日本の漢詩に関する論文を執筆。その頃には漢文も古文もある程度読めるようになっていました。また東大大学院に留学していた韓国人たちとも交流するようになりました。

アメリカに帰国後、1992年にハーバード大学大学院の博士課程に編入。日本やアメリカの友人たちに今後について相談し「もし将来、日本で教授の仕事に就くとしても、一旦アメリカに帰って博士課程を修了した方が、東大大学院だけで終わるよりも有利に働くのではないか」と言われたのです。ハーバードは日本研究にさほど力を入れていなかったものの、私は将来への”戦略として”そこに入り、中国文学を中心に研究しながら、日本や韓国を含む東アジアの言語や文明についても学んでいきました。

 

結婚と別れ 韓国から再び日本へ

東アジアのことを深く知るなら、韓国についても学ぶべきだ – 私は東大大学院の韓国人留学生との交流を思い出しました。またハーバードでも朝鮮の歴史や文化を学ぶ優秀なアメリカ人に出会いました。私は韓国に留学することを決意し、1995年から1年間、交換留学生としてソウル大学へ。ハーバードでの私の指導教官の弟子に師事し、韓国の漢文小説について学びました。

その後一度アメリカに戻り、1998年よりイリノイ大学の工学部で日本文学を教えるように。「工学部で?」とお思いでしょう。でもイリノイ大学では人文系学部に予算が割り当てられておらず、またエンジニア志望者たちの方が日本の重要性を分かっていたのです。

その後アメリカで出会った韓国人女性と結婚。以降、何度か日本に短期滞在することはあっても、日本からは遠ざかっていました。日本以上に積極的だった韓国から共同研究のオファーを多くいただくようになったため、2007年に私は妻と韓国に移住。しかし彼女は13年前に癌にかかり、大変悲しいことに2022年に病気で亡くなってしまったのです。

その後しばらく韓国に1人で住んでいましたが、私が韓国で立ち上げた”アジアインスティチュート”に所属する日本人研究員と頻繁に連絡を取り合っていたことから、約30年ぶりの日本への移住を決めました。

 

○○中毒のアメリカに平和を

話が前後しますが、2000年ごろにイリノイ大学で教鞭を執っていた間、東アジアの外交問題や技術開発について工学部と共同研究するようになりました。やがてイリノイ大学の安全保障研究所の研究員に。日本文学を学生に教えながら、外交から安全保障、経済、技術まで研究するようになったのです。その後ジョージ・ワシントン大学で指導していた時、駐米韓国大使館からのご要請で政務公使顧問として勤務しました。文化や文学に加えて外交問題にも、徐々に私の研究および業務の分野が広がっていきました。

そんな私から見て、母国アメリカは”戦争中毒”に陥っているように見えました。中東だけでなくアジアを見ても、アメリカは中国と敵対しています。だからその周辺国である日本や韓国と軍事関係を結び、一方で文化面や教育面での交流はないがしろにされている – それは私が賛成しかねる風潮です。

母国に平和を取り戻したい。その思いを胸に、アメリカと東アジアとの良好な関係の構築、さらには朝鮮半島問題を含む東アジアの課題の解決にアメリカが建設的な役割を果たすことを目指し、私なりに研究や活動を続けてきました。それらを通じ、日本・韓国・中国の東アジア3ヵ国が対話し、平和構築のために協力する動きを生み出すことに貢献できたと思います。

 

我が祖国の未来、アジアにあり

でもまだ不十分です。私はヨーロッパや中東を重視する、母国アメリカの外交姿勢を、アジア重視のものに変化させたい。さらにアメリカがアジアを脅威として、また単に大きな市場として見做すのではなく、様々な文化が織りなす豊かな大地だと見てしてほしいのです。

そのためにも私は、日本や韓国、中国を正しく理解した上で、アメリカと東アジアとの協力関係を進めていきたい。「アメリカの未来はアジアにあるのだ」という思いを持ち続けて、これからも活動を続けていきたいと思います。

人間には矛盾や衝突が付きものです。それらを完全に無くすのは難しいかもしれない。しかしもう少し理性的になるように努力することはできると思います。人々が理性を持って、安全保障や環境、食糧など人類が直面している課題の解決に取り組んでほしい – それが、平和を望む一人のアメリカ人としての願いです。

 

パストリッチさんにとって、日本って何ですか?

・・・まだ分かりません。今も日本を勉強中です(笑)

 

パストリッチさん関連リンク

アジアインスティチュート:asia-institute.org/ja/

 

My Eyes Tokyo

Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー