談志、志の輔、圓楽・・・アメリカ人研究家が語る落語の魅力
ダニエル・ペンソ
コラムニスト/翻訳家
※翻訳:徳橋功(My Eyes Tokyo)
(English article here)
熱心な落語ファンとして、私はクリスティーン・オオクボさんが書いた『Talking About RAKUGO 1: The Japanese Art of Storytelling』を楽しく読ませていただいた。この本は、落語の歴史や、落語に関わってきた人たち、そして現在落語に関わる人たちを知るための素晴らしい情報源である。このインタビューでは、この本について、そして落語についてのお考えや、落語が多くの人たちを惹きつける理由などについて、著者であるクリスティーンさんに話を聞いた。
自己紹介をお願いします。
クリスティーン・オオクボと申します。米カリフォルニア州ロサンゼルス在住の作家です。正式に執筆を始めたのは10年以上前で、これまでに8冊の本を出版しました。現在、今年(2024年)後半に発売予定の9冊目の本の原稿を執筆中です。また、東京を拠点に活動する英語落語家、鹿鳴家英楽(かなりや・えいらく)さんの落語に関する本を2冊編集しています。
私は「英語落語協会」の設立メンバーの一人でもあります。私はその会員として、2020年に東京で協会の設立に関わりました。通常、私の仕事はノンフィクションが中心ですが、昨年2月に『Fallen Words(訳者注:直訳すると”落語”)』というタイトルで、英語で書いたオリジナルの噺5編からなる作品集を出版。その際、私の落語や演技への知識を、落語でお馴染みの登場人物にフルに織り交ぜました。この作業を通じて、私は自分の落語に対する深い愛情をあらためて確認することができました。
アメリカのスタンドアップコメディと比べると、落語は面白い芸能ですよね。
それらは全然違います。落語を “シットダウン・コメディ “と呼ぶ人がいますが、正直、困惑しています。なぜなら本質的に落語はそう呼ぶにふさわしくないものだからです。スタンドアップコメディは、一人のコメディアンがステージに上がり、ジョークを連発するもの。一方、落語は一人の噺家が多数の登場人物を演じます。落語は一般的にコメディに寄ってはいますが、時には深い怪談話だったり、また人間の本質をテーマにした噺も存在します。これらの噺の最後にはオチがあり、そこで笑いに持っていくのが一般的ですが、同時に観客に意味を考えさせるものでもあります。私の好きな『死神』という噺は、人間の本質を探るストーリーであると同時に、ホラー小説でもある。噺を通じて存在の本質について深い考察を促す、もはや単なるユーモアではなく、多面性を持つ噺だと私は認識しています。
日本語や日本文化との出会いはいつですか?
正直申し上げて、私のインスピレーションの源を正確に特定することはできません。ただ私が幼い頃、日本の伝統的な着物に身を包み、優雅な和傘を差した女性の絵をよく描いていました。そして小学校に入ってから、私は幸運にも多くの日本人の子どもたちと友達になることができました。このようなつながりの中で、私は日本の文化や言語に直接触れることができたのです。
アニメや武道、あるいはトヨタや日産といったクルマを通じて、海外の人たちは日本に興味を持ち始めるものですが、クリスティーンさんが落語に興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょうか?
日本や日本の文化を欧米に紹介するツールとして、確かにアニメや漫画が主流になっています。日本ではコスプレのショーやフェスティバルがたくさん開かれていますよね。でも正直、私はコスプレに興味を持ったことがありません。
それよりも、日本の歴史や文化を学ぶことに興味がありました。中でも落語は、江戸時代に人気を博し、以来何世紀にもわたって人気を保ち続けている不朽の伝統芸能です。落語には花魁、庶民、武士、さらには日本文化の宗教的な側面にまで踏み込んだ超自然的な存在など、日本社会を構成するさまざまなキャラクターが登場します。落語の基本的な性質が何百年も変わっていないことを考えると、日本やその文化に親しむ良い方法だと思ったのです。落語は一言で言えば”タイムカプセル”のようなもの。一つひとつのストーリーが、江戸時代の文化や社会のダイナミズムを反映しています。時折、噺家は注目すべき出来事をマクラやストーリーに組み込みます。その時代、日本の人たちの多くが文字を読むことができなかった。そのため、情報源として講談や落語に頼っていました。ストーリーテリングを通じて、人々はその時々に起きた出来事とつながることができたのです。個人的には、落語は日本を知る窓のようなものだと考えていますし、さらに私は作家として、ストーリーを伝えることにいつも深い情熱を持っています。落語を心から楽しんでいるのは、そういう理由です。
お気に入りの噺はありますか?
『死神』が一番好きですね。他にも『桃太郎』(※訳者注:落語の演目のひとつ)や『夏泥』『松山鏡』『芝浜』など、楽しい物語はたくさんあります。これらの物語が魅力的なのは、日本社会や人間模様のユニークな側面を探求しているからです。
漫画家の雲田はるこが、マンガ『昭和元禄落語心中』で『死神』を紹介。落語を知らなかった多くの人たちがこの作品を読み、落語という芸術に初めて触れるきっかけとなりました。私が『死神』を高く評価するのは、初代三遊亭圓朝が書いたからです。彼は江戸末期から明治初期にかけて活躍した伝説的な芸人で、日本初の外国人落語家であるオーストラリア出身の快楽亭ブラック(ヘンリー・ブラック)とコンビを組んでいました。二人で、多くの外国の物語を落語として当時の日本の観客に紹介。『死神』は、おそらくグリム童話(Godfather Death ※日本語「死神の名付け親」)や他の物語から脚色されたのだと思います。その歴史的意義と魅力的なストーリー性から、この噺は私のお気に入りとなっています。
日本や海外出身の落語家で好きな人はいますか?
います。私が初めて落語を知ったのは、カナダ出身の落語家、桂三輝(かつら・さんしゃいん)さんです。彼は落語という芸をアメリカに紹介しました。三輝さんは落語を英語で演じています。さらに私が落語を深堀りするうちに、立川志の春さんに出会いました。彼はアメリカのイェール大学に在籍していました。英語と日本語を操る卓越した才能を持つ彼は、日本語でオリジナルのまま、そして英語でもストーリーを伝えることができる。彼の観客は本来の意図通りにストーリーを体験でき、また英訳された噺と比較しながら、自分なりの評価を下すことができるのです。私は自分の初の落語の本を書く際、彼にインタビューしました。立川志の春は私の好きな現代落語家の一人です。
志の春師匠のさらに師匠である立川志の輔は、立川談志の弟子でした。談志は卓越した話芸の才能を持ち、非常に個性的でした。毀誉褒貶が激しく、落語の腕前は並外れていました。当初、志の春師匠は落語にほとんど興味がなかったのですが、偶然、立川志の輔師匠のライブを見ます。そして志の輔師匠に弟子入りを願い出ます。当然のように志の輔師匠はそれを断り、三井物産に就職するよう勧めました。しかし志の春師匠は不退転の決意を示し、会社を退社。そして志の輔師匠は志の春師匠への指導を認めました。落語家になる人の大半は、大学や高校時代に修業を始めることが多いです。彼らは落語サークルに所属し、その後プロの道を目指します。彼らは自分たちを指導してくれる師匠を探します。
落語家を目指す人たちに伝えたいことは?
現在落語家として活躍している人、あるいは落語家を目指している人はかなり多く、中でも女性の存在感は際立っています。しかし一方で、落語家の最高位である真打に登り詰めた女性噺家はごく少数です。落語で成功するためには、高いレベルの勤勉性と努力が求められます。そして本物志向を貫き、他の演者の真似をしないことです。熟練の落語家に弟子入りすることは、その人の語り口をそのまま吸収することであり、その後にそれを修正することはできないからです。また弟子入りしてからは、師匠だけでなく先輩噺家の指導にも気を配らなければなりません。しかし、いざ一人前になったら、自分の視点からストーリーを語るべきだと思います。そうすれば、観客はあなたが本物であることを感じ取ってくれるでしょう。
落語はこの400年もの間、一貫しています。でも皆さんが思うほど動きが無いものではありません。ゆっくりと変化し、進化し、私たちを取り巻く世界を反映しています。もっと新しい噺を取り入れたり、外国人向けの噺を作ったりする若い人たちが、未来を代表する落語家になるだろうと思います。落語家の中には、従来の定型から逸脱し、一貫して独創的な噺を生み出す人もいます。英語落語という選択肢も、海外に行くことができるという点では有効です。それが、落語家を目指す人に私からお伝えしたい一番大切なことです。
クリスティーンさんのご著書『Talking About RAKUGO 1: The Japanese Art of Storytelling』から読者に学んでほしいことは何ですか?
「笑いは万国共通である」ということです。異論はあると思いますが、日本人が笑うことは、もしその人に十分な理解力があれば、海外の観客も笑う可能性が高いと思います。私が落語の本を書く目的は、読者に落語という芸を紹介することでした。当初は外国人の読者を念頭に置いていましたが、本が発売されてすぐに、この本は日本人にとっても役立つことに気づいたのです。多くの人がこの本を、落語に関する貴重な情報をまとめたものであり、これまであまり知られていなかった芸の側面を網羅していると評価してくれました。「落語は日本人にしか理解できない」という国粋主義的な考えを持つ人たちがいることは存じています。しかし「海外の観客には噺の意味がわからない」というのは、必ずしも真実ではありません。それは噺の訳し方にもよります。例えば落語の中に日本文化特有の言葉遊びがある場合、欧米人には理解しにくいかもしれません。しかしそのような要素を排除した噺を選ぶことで、観客は噺を理解することができ、面白さを感じることができる。『Talking About RAKUGO 1: The Japanese Art of Storytelling』は落語の基礎知識を固めるためのツールであり、お読みいただいてから生の落語をご覧になれば、大きな満足感を得ていただくことができるでしょう。落語は恐れるものではなく、とても楽しいものなのです。
言語面以外に、海外公演を目指す落語家にどんなサポートをしますか?
アメリカに渡って自己の才能を発揮している落語家には何人も出会っていますし、ニューヨークに住む落語家と一緒にオンライン落語会を主催したこともあります。その番組では、志の春師匠をはじめとする他の日本人落語家も紹介しました。私が気づいたのは、視聴者を深く理解することが重要だということです。アメリカの観客は、他の欧米の観客に比べて寛容さに欠ける部分があるように思います。そのため英語を使いこなすことが不可欠であり、そうでなければ見る人は興味を失ってしまうでしょう。また、同じ噺を何度も繰り返した場合も、彼らは興味を失ってしまいます。日本では、落語家はどんなネタをやるのか事前に伝えないことが多く、通常は観客を見て演じる噺や伝え方を決めます。ここアメリカでも、同じような方法を適用しなければなりません。落語というものを知らない人が大多数であることを考えると、その人たちに嫌悪感を抱かせないように演じなければならないわけです。さらに落語で用いられる動きやジェスチャーの時間が限られているため、字幕はほとんど効果がないと私は感じています。日本語で演じ、その間に観客が字幕を読んでいたら、観客は微妙なディテールを見逃してしまいます。観客を理解し、それに合わせて噺の内容を調整すること。字幕のようなものに頼らないこと。これが、アメリカでのツアーを考えている日本人落語家に私がさせていただける、最重要のアドバイスです。
東京にある英語落語協会をぜひ調べてみてください。彼らの目的は、いつか海外で公演したいと考えている噺家を支援することです。実際、協会は英語だけで演じる英語落語グループを結成しています。彼らは皆さんの英語力を評価し、皆さんが海外公演をするに足りるかどうか、あるいは海外に出る前に、日本での英語話者を相手にすることから始めるべきかを判断します。協会は多くの日本人落語家にとって良い出発点になると思います。
プロの落語家のために確立された各種の落語協会が、従来の落語の領域から飛び出そうとする努力を妨げる可能性があります。しかし、英語落語は日本の伝統的な落語に対抗するために存在するのではないことを認識していただきたいと思います。英語落語は自己完結した存在なのです。噺家は、21世紀以降もこの演芸を維持するためにあらゆる努力を払わなければなりません。それが落語を日本国外に送り出すことを意味するなら、そうすれば良いと思います。観客層を広げなければなりません。外国人に日本文化を知ってもらいたいと思う人は多くいますが、落語ほどバラエティに富み、日本や日本文化を垣間見ることのできる方法はありません。だから、試してみるべきだと思います。
クリスティーンさんにとって、落語って何ですか?
落語とは、人生で起こるあらゆる愚かなことを見つめ、それらを笑い飛ばすものです。史実などを題材にした講談とは対照的に、ありふれた生活や普通の人をテーマにしています。日常生活のシナリオがベースになっているのです。立川談志は「落語とは業の肯定である」と言っています。「落語とは人間の本質を受け入れるものであり、また幻想でもある」という意味です。私も落語をこのように見ています。真面目な人生観ではないけど、考えさせ、笑いを誘い、人間の本質を受け入れる。それが私にとっての落語の魅力であり、長年にわたる落語のファンである理由です。ユーモラスに人生にアプローチする。与太郎などの登場人物は、人間という種に存在する典型的な愚か者たち。でも噺はユーモラスで魅力的です。落語は”存在”というテーマにユーモラスな視点を提供してくれる。どんなにひどい一日でも、落語を聞けば立ち上がり、前へ進むことができるのです。
第二次世界大戦は、落語が一般的でなかった時代。多くの落語家が日本の地方に出向いただけでなく、満州など外地で落語をする人さえいました。終戦後、落語家たちは一人、また一人と母国へと帰還。彼らは一軒の民家を見つけ「今夜は無料落語会。どうぞお入りください」と書いた木の板を外に置いた。その観客の中に三遊亭圓楽もいました。落語は、戦争で何もかも奪われた沈痛な面持ちの人たちをも笑わせました。彼が落語家を目指したのは、その体験がきっかけだったそうです。
長くなりましたが、それが私にとっての落語なのです。
ダニエル・ペンソ
米オレゴン州在住の日英翻訳家。1999年〜2009年の約10年間住んでいた東京を”第2の故郷”と呼ぶ。趣味は旅行、語学、食。日本への旅行時には落語を楽しむ。
*ダニエル氏の詳細は以下のページをご覧下さい。
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