オルズグルさん(ウズベキスタン/日本)
インタビュー&構成:徳橋功
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Orzugul
飲食店経営者/起業家
私の名前は母国語で”夢の花”。誰もが自分の夢を咲かせることができる日本になることに貢献したいと思います。
「久しぶりにお会いしましょう!」。その声の主は、今から約10年前の2013年にインタビューしたウズベキスタン出身の起業家・オルズグルさんでした。”オルちゃん”の呼び名でたくさんの人に愛されている彼女の活動を、SNSで絶えず追いかけていた私たちMy Eyes Tokyo。都内でワインバーを経営し、様々な人たちをつなぐ活動を行いながら、経営者人生を邁進されるのだろうと思った矢先、オルちゃんは「お!」と誰もが思うような行動に出ました。
そして私たちがある相談を彼女に持ちかけた時、彼女から言われた冒頭の言葉。オルちゃんを知る人全員が一斉に口に出したであろう「お!」 – それはウズベキスタン出身者として初となる行動に向けられた素直な感情。その挑戦の原点を探りたいと思い、10年ぶりに深くお話を聞きました。
*インタビュー@渋谷
東京・外国人・住む部屋なし
(前回のインタビューはこちらから)
「やっておきたいことは、今日やっておこう。やらなかったことで後悔するよりは、やって失敗した方がいい」。2011年3月に起きた東日本大震災を機にそう強く思い、立ち上げたワイン輸入会社。その後しばらく続けていましたが、夫が海外に赴任することになり、私は会社を畳んで帯同しました。
現地で私は専業主婦をしておりましたが、夫より少し早く日本に帰国。その後、私は日本で厚い壁にぶつかることになったのです。
久しぶりに戻ってきた東京。ここで私は、自分の名義で部屋を借りるところからスタートしました。しかし海外で主婦をしていたため、日本での納税証明書や在職証明書が無い状況。だからどの不動産会社も私に物件を紹介してくれません。そんな私に残された選択肢は、出張者などが契約するマンスリーマンションだけ。私が心から愛する日本だからこそ、とても残念に思えてなりませんでした。
物件探しに2年
何とか住む場所を確保した私が次に着手したのは、起業です。かつて国内唯一のウズベキスタンワイン正規輸入・販売会社を経営し、ワイン片手に様々な人たちが交流し合う”オルちゃん会”を定期的に開催していた私は、都内でのワインバー開店に向けて動きます。
しかしここでも壁にぶつかりました。店舗物件を見つけるために不動産会社に行くも、断られ続けたのです。その理由は①私に飲食店経営の実績が無い②外国人③女性。①については、物件を貸してくれない限り店が開けないので、実績を作りようが無いですよね。さらに「すみません、大家さんが”外国人女性には貸せない”と言っていて・・・」と不動産会社から言われ、私が「日本人である夫が保証人になります」と言うも「いえ、それでも外国人女性には・・・」と返すばかり。ゼロから何かを始めようとする人 – 特に海外から来た人たち – にとって、日本はチャンスを掴みづらい場所であることを痛感したのです。
「この現状を変えるために、私も声を上げたい!」 – しかし国籍がウズベキスタンである私には、何をやれば良いか分かりませんでした。
夢の実現、再び
私は通訳や翻訳、書籍編集、タレント活動などをフリーランスとして行いながら物件を探し続け、知人からの紹介でようやく都内に店舗物件を見つけました。その間、実に2年もの歳月が流れていました。
ついに店舗経営者へのチケットを得た私は、モルドバやチェコ、レバノン、クロアチア、アルメニアなど、ワインの産地としてはあまり知られていない国々の珠玉の逸品を提供し、それらを楽しむ20代~70代の様々な人たちを繋ぐ場所を開きました。人は飲食店に”料理が美味しい””内装が美しい”などの付加価値を求めて行くと思います。私の店が提供する付加価値は”人とのご縁”。どんなに優秀な人でも、一人では何もできませんよね。実際に店のお客さんが仕事の仲間やビジネスパートナーを見つけたり、お客さん同士でご結婚されたりと、化学反応があちこちで起きました。
そして私自身にも化学反応が。店の常連さんと意気投合し、一緒に2号店を開いたのです。この時は私に店舗経営の実績があったので、物件を借りることができました。
誰もが”夢の花”を咲かせられる場所に
私は美しい日本語に出会い、日本に惹かれ、来日し、日本で自分の夢を実現してきました。しかしそれに至る道のりは決して緩やかではありません。ウズベキスタンでは名門と言われる国立大学を卒業した後、現地で日本語での観光ガイドや通訳の仕事をしていた私は、日本語でのコミュニケーションには全く不自由ありませんでした。それにも関わらず、日本での学歴が皆無という理由で、53社もの企業での面接に落ち続け、54社目にしてようやく運送会社に入りました。
その時私は思ったのです。「様々なバックグラウンドを持つ人たちにとって暮らしやすく、挑戦しやすくなるような、多様性を認め合う社会を実現したい」と。
東日本大震災を機に起業を決意した後、私がオフィスを借りるまでに何十もの物件を断られました。その後も住む部屋さえ借りられず、ワインバーを開くために2年も物件探しを続けなくてはならなかった・・・
私は思いました。「自分でこの状況を変えるしかない!」と。愚痴を言って済ませるのではなく、自分で声を上げるべきだ、と。自分の夢の実現に向けて動く若者や女性、外国人に私と同じ苦労をさせたくない – だから私は、ある決意をしました。
私は今、東京都世田谷区に住んでいます。約100万もの人たちが住むこの街が変われば、東京が変わる。私は世田谷区から、東京を、そして日本を変える挑戦に打って出ます。日本が好き過ぎるからこそ、私は日本にある様々な問題に無関心ではいられない。私は日本に尽くしたいのです。
私はこれまで、どんな困難が自分の身に降りかかっても、決してあきらめることなく進み続け、それらを乗り越えてきました。しかも私は母子家庭で、決して豊かとは言えない環境で育ちました。私は、誰にも負けない実行力とレジリエンス(※逆境を乗り越える力)を武器に、海外出身だからこそ忖度せず、同調圧力にも負けず、”挑戦する人たち”の背中を押すために、そして”ひとり親””貧困”という問題を無くすために、声を上げていきます。
写真提供:オルズグルさん
私の名前であるオルズグルは、ウズベク語で”夢(オルズ)の花(グル)”。私はこの日本で自分の夢を咲かせたい。そして性別や年齢、学歴、収入、成育環境、国籍、人種を問わず、誰一人として取り残されず、お互いが認め合い、支え合う日本になることに、そして誰もがチャンスを掴み、自分の夢の花を咲かせることができる日本になることに、全力で貢献したいと思います。
オルズグルさん関連リンク
公式HP:orzugul.com/
Bar Iaponia:bariaponia.com/
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