臺彰彦さん

インタビュー&構成:徳橋功
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Akihiko Dai
海外進出支援コンサルティング会社代表

写真提供:臺彰彦さん

 

 

 

 

”基本的な部分は人間みな同じ” – それに気づくことが海外で生きるために最も大事なことです。

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月初旬、私たちのもとに1本の電話が入りました。

「豊田典子さんのご紹介で連絡をさせていただきました。つきましては、一度お話させていただきたいと思います」

過去に自身の英語習得術についてインタビューさせていただいた、英語講師や通訳者・翻訳者・第二言語習得および認知言語学の研究家として活躍する豊田典子さんを通じて私たちに連絡を下さったのは、日本企業の海外進出支援コンサルタントである臺(だい)彰彦さん。世界五大陸から日本にやって来た人たちにインタビューさせていただいた私たちと、あるプロジェクトで協働されたいと仰ったのです。

その内容に興味を持つ一方、実際に世界中を飛び回り、あらゆる背景を持つ人々と交わる臺さんは、日本と海外の橋を目指す私たちにとっての” ”師”であり”同志”であると思い、インタビューを申し込みました。

数年前には豊田さんと共に、フランス語習得のための書籍を出版したという臺さんは、現地で就労だけでなく、結婚や起業までご経験。「ひょっとして、帰国子女だったのかも?」と思いましたが・・・

海外に興味がある人、中でも言語面から躊躇している人に、ある道産子の生き様をお届けします。

*インタビュー@渋谷

 

海外経験”ゼロ”

私は現在、主に日本企業向けに海外リサーチや多言語翻訳を行う会社を経営しています。パリで起業し、日本に帰国した後も事業を続けています。帰国当時は故郷の北海道に本社を置き、観光業や不動産業、農業などの分野で、通訳として海外の会社と日本の会社の橋渡しを行いました。やがて東京のクライアントさんが増えたため、数年前に都内に事務所を移しました。

日本には優れた技術や商品を誇る企業が、その規模を問わずたくさんあります。しかし私は、様々な壁を前に海外進出を躊躇している、もしくは現地法人を置いたもののトラブルに巻き込まれるという事例を多く見てきました。もともと日本企業には大きなポテンシャルがあります。もし弊社が言語面や法律面からサポートをさせていただくことで、日本企業が新たな市場を開拓することに貢献できるなら、それは私にとって大きなやり甲斐です。

このような事業を営んでいる私ですが、帰国子女だったわけでも、言語がずば抜けて得意だったわけでもありません。むしろ社会に出る前は海外の文化に全く興味が無く、海外旅行すらしたことがなかったほど。起業することも全くの想定外だったから、人生は面白いものです(笑)

 

超大手企業を辞めて求めた”安定”

私のキャリアは、日本でも有数の大企業からスタートしました。「一人ではできない、大きな組織だからこそ可能な規模の仕事に取り組みたい」という思いから、国内最大手の通信企業に入社。それは私が学生時代、大学の仲間たちとサークルでバーを経営した経験がもとになっています。

入社した企業は民間ですが、その社員は安定した生活が約束された公務員のようなもの。誰もが「自分の将来は安泰だ」と考えると思いますが、私は違いました。それまで絶対に潰れないと言われていた大手金融機関が倒産したりと”安定神話”の崩壊をメディアなどで目の当たりにした者にとって”会社の安定=自分の安定”とはどうしても思えなかったのです。

安定した環境に何十年も身を置くことで、果たして本当に安定した人生を送れるのだろうか?本当の安定とは一体何だろうか?実際に支店の統廃合が起き、早期退職を強いられた人たちがいました。また数十年前にエリートとしてもてはやされた電話交換手が、時代の流れにより不必要となった際、彼らが営業として重いノルマを課せられたことも聞きました。それら全てを踏まえて考えた末、私は「安定は誰かから与えられるものではなく、自分で作り上げるもの。どこに行ったとしても生きていけるくらいのスキルや能力を身につけることこそ、真の安定につながるのではないか」という結論に至りました。

私は転職や資格取得、小さな店舗の経営などを考えました。しかし自分の求める未来像をそれらに見出せなかった私は「将来の安定が約束された職場を離れるのだったら、それまでやったことがなかった挑戦をしよう」と思いました。それが”日本を出ること”です。言葉も習慣が異なる、知人や友人が全くいない場所で、ゼロから自分で何かを作り上げたら、それが自分にとっての財産になる – そう考えたのです。

ただ英語圏は、当時でも主に男性ビジネスマンにとっての人気の留学先だったため、フランスやイタリアといったヨーロッパの非英語圏に狙いを定め、中でもEUの中心とされていた国のひとつであるフランスに行くことを決意。入社2年目で通信企業を退社し、生活資金をバッグに詰め、”真の安定”を求めて海を渡りました。

 

言語レベル”ゼロ”

ここまでお読みの皆さんの脳裏に、ある疑問が浮かぶと思います。「渡仏前にフランス語を勉強したのか?」

答えはNo。出発前にフランス語に関する本を少し読んだ程度です。日本でお金を払って週1~2回言語を学んだとしても、日常生活は日本語で過ごしますよね。スキルを習得したところで、日本ではそれを活かす場がなく、言語を話せるようにはならないと考えました。逆にフランスに行ったら周りは全員フランス語で話しているので、あたかもEnglish Villageのように、そこにいるだけで言語が習得できるのではないかと考えたのです。

そんな私は、まずワーキングホリデービザで渡仏しました。「滞在期間が長くても短くても、仕事をしなければ生きていけない」と思った私は、日本人向けの求人が多い首都パリへ。市内の語学学校でフランス語を学びながら、高級品を扱う免税店に1年間勤務しました。それに加えてデッサンモデルやマッサージなど、言語力が問われない仕事も。全く先が見えなかった私は「来月は無事に生きられるか」という不安から逃れるために必死だったのです。言語の壁や煩雑な各種手続きは”スケッチブックに絵を描いて相手とコミュニケーション””少ない単語でも勢いや態度で押し切る””路上で知らないフランス人に話しかけて書類の書き方を聞く”などで切り抜けました。書類については現地の人に聞くのが最も効率的だと思ったし、質問はわずか1~2つ。しかも優しくて親切そうな人たちを選んで声をかけましたね(笑)

「”これ以上の滞在は無理”となったら日本に帰ろう」と思っていた矢先、フランス人女性と知り合い、結婚。現地での生活に、少しだけ光が見えたような気がしました。

 

コンフォートゾーンなどいらない

ワーキングホリデー終了後はフランス最大級の百貨店に就職。アジアセクションに配属され、私は主に日本の企業や旅行代理店への営業や、視察や研修に来られた国会議員のアテンドなどを担当しました。その百貨店は終身雇用だったため「来月は生きていけるか」から「来年は生きていけるか」ぐらいに心配度が低くなりましたね(笑)。

職場環境は、日本のそれとは全く違っていました。ランチを食べながらワインを飲むのは当たり前だった一方、残業も”飲みニケーション”も無く、時々従業員の慰労のためのショーを百貨店内で開いてくれたことまでありました。有給休暇は年間5週間で、管理職は部下にその消化を義務付けており、もしそれを怠った場合は企業が罰せられました。

労働環境には恵まれたものの、入社から3年が過ぎた頃、より良い給与を求めて日系国際通信会社のフランス現地法人に転職。日系企業ではありましたが、それまでの職場の中で最もフランス語のスキルが求められました。過去にもソルボンヌ大学の早朝コースでフランス語やフランス文化を学びましたが、国際通信会社入社後は夜間にもフランス語や英語を勉強することに。6年間勤務した後、家庭の事情もあり、2011年に日本に戻りました。

 

フランスで起業を実現

日本に帰国する少し前から、パリにいる私のもとへ日本企業から様々な依頼が来るようになりました。フランス滞在歴と共に私の語学力が上がり、日本語だけでは収集し得ない情報まで入手できるようになったからです。それらの仕事の多くはオンラインで完結するため、平日の夜や週末に、家で育児をしながら行うことができました。

そこで日本に戻っても継続して仕事をいただけるように、現地窓口担当を配置した上でパリで会社を設立しました。20代後半まで一度も海外に行ったことが無く、フランス語がほぼレベルゼロの状況で渡仏した人間が、それから約10年後、現地で起業するまでになったのです。

帰国後は故郷の北海道にも法人を設立。しかしオンラインでできる仕事を中心に請け負っていることから、フランス法人の必要性は無いと判断し、日本法人に一本化しました。クライアントは北海道内の企業が中心でしたが、彼らが希望する進出先や取引先がヨーロッパだけでなくアジア方面にも広がったため、海外出張が増えましたね(笑)。

やがてクライアントが北海道だけでなく東京にも増え、双方を行き来するように。さらに東京の各クライアントとの契約が長期化したため、都内に本社を移しました。

 

安定を捨てる覚悟はあるか

私が子どもの頃は、自分が海外で生活し、海外で事業を起こし、日本と海外をつなぐ仕事をするようになるなど全く想像していませんでした。もしMy Eyes Tokyoの読者で、これから海外に行くかどうか迷っている人がいたら、私は行くことをお勧めします。

ただし、もし「日本ではうだつが上がらない。でも海外に行けばうまく行くのではないか」とお考えなら、むしろ行かない方が良いと思います。基本的にどこに行っても働かなくては生きていけないし、仕事で結果を出さなければ周囲から認めてもらえず、相手と良い関係を築かなければ信頼を得られません。日本で生じる問題は、どこに行ってもついて来ます。もし日本で行き詰まっているなら、海外に目を向けるよりも、その原因に向き合い、問題を解決するのが先だと思います。

また海外で生活することを考えるなら、基本的にそのレベルは日本にいる時よりも下がり、逆に生活上のリスクは上がると考えるべきです。例えば日本でサラリーマンとして働いている人がイタリアに行った場合、もし語学力や海外経験をお持ちでなければ、トマト農園での就労しか選択肢が無いかもしれない。そうなれば生活レベルも必然的に落ちるでしょう。しかも海外では危険な出来事に遭遇する確率が日本より高くなります。それらを受け入れる覚悟があるかどうか。私で言えば、生活レベルを維持することよりも、セーヌ川を見ながら通勤し、エッフェル塔を眺めながらカフェでくつろぐことができる環境を選んだわけです。

これらを踏まえた上で、海外でなければ実現しないこと、海外で達成したい目標などがあるなら、ぜひ行かれると良いと思います。

 

”空気を読む力”は海外でこそ必要

そしてもうひとつ。私は社会人になるまで日本国内だけでしか生活せず、外国人ともほとんど交流してきませんでしたが、渡仏以降は語学学校で世界中から来た人たちとフランス語を学んだり、フランス人を始め世界中の人たちと仕事をさせていただく機会を得ることができました。それらの経験を通じて感じたのは「最も大事なのは語学ではない」ということです。

それぞれの人が持つ背景が違っても「こちらが相手に好意を示したら、相手もこちらに好意を示す」など、基本的な部分は似ています。それに気づけば、日本にいる時の自分の在り方と、海外での自分の在り方を変える必要は無くなります。その上で、周りがバカ話をしているときは自分も参加したり、逆に周りが静かな時は自分も静かにする。日本人が得意な”空気を読む”力は、むしろ海外でこそ必要になるかもしれませんね。

言語研究家の豊田典子さんなどとの共著。ご興味ある方はこちらからお求めください。

 

これから海外で飛躍しようとしている個人や企業に、私がこれまで培ってきた経験や、得てきた知見を惜しみなく共有させていただく – そうすることで彼らの可能性が広がれば、こんなに嬉しいことはありません。

 

臺さん関連リンク

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Interviews with international people featured on our radio show on ChuoFM 84.0 & website. Useful information for everyday life in Tokyo. 外国人にとって役立つ情報の提供&外国人とのインタビュー